2024-5月21日改定
素戔嗚尊の子供達の婚姻を数値解析で考察
素戔嗚尊の一家は、筑紫国に上陸しました。(122年条)
【素戔嗚尊】:(84~122年・39歳~○○○年)
【大屋津姫=豊宇迦大神】:(109~122年・14歳~○○○年)
【抓津姫】:(109~122年・13歳~○○○年)
【五十猛命】:(109~122年・15歳~○○○年)
素戔嗚尊一家が上陸した時、天照大御神の命で出迎えに来た使者は、
天照大御神の第5子・天葦根尊です。
【天葦根尊】:(99~113年・15歳~122年・24歳~○○○年)
天葦根尊の子は、神話物語で有名な海幸彦・山幸彦がいます。
火神・龍神信仰が名前から明白です。
【火照理尊=海幸彦】:(114~128・15歳~○○○年)
【火須世理尊】:(115~127・13歳~○○○年)
【火遠理尊=山幸彦=穂穂出見尊】:(116~130・15歳~○○○年)
注:穂穂出見尊は、瓊瓊杵尊の子ではありません。天葦根尊の子です。
【瓊瓊杵尊と穂穂出見尊の考察と証明】
1)穂穂出見尊が瓊瓊杵尊の子であるなら
【瓊瓊杵尊】:(129~143年・15歳~○○○年)
【穂穂出見尊】:(144~156年・15歳~○○○年)
【ウガヤフキアエズ】:(157~171年・15歳~○○○年)
【五瀬尊】:(172~186年・15歳~196年・25歳~○○○年)
【神武天皇】:(175~189年・15歳~199年・28歳~○○○年)
以上の通り、婚姻解析・ループ解析・相関解析等々が成立しません。
2)穂穂出見尊が天葦根尊の子であるなら
【穂穂出見尊】:(116~130年・15歳~○○○年)
【豊玉姫】:(118~130年・13歳~○○○年)
【ウガヤフキアエズ】:(131~145年・15歳~○○○年)
振魂尊(豊玉姫の妹=乳母)の娘・玉依姫と婚姻。
【振魂尊】:(119~131年・13歳~○○○年)
【建位起立尊】:(132~146年・13歳~○○○年)
【椎根津彦】:(147~174年・28歳~○○○年)
【八瀬姫】:(148~160年・13歳~○○○年)/五瀬尊の妃
【玉依姫】:(133~145年・13歳~○○○年)
ウガヤフキアエズです。誕生後の誓約成立です。
【五瀬尊】:(146~160年・15歳~178年)・33歳
【神武天皇】:(149~174年・26歳~196年)・48歳
五瀬尊が誕生した時、倭国大乱の開始。
戊午年(178年)5月8日、五瀬尊戦死。紀伊国名草郷の籠山神社。
此の地を選んだのが、天照大御神の高齢(81歳)の第4子・天道根尊です。
天道根尊と五十猛命は、天照大御神の命で、木の國に日像鏡・日矛を祀る。
129年に天の岩戸隠れ復帰の時、祀る候補地を調査で出航。其の時の一つです。
神々を祀る巡幸中の素戔嗚尊と豊宇氣大神も調査に同行していたかも知れない。
数値解析から位置情報を重ねたので文献には無い事を一言。(129~131年)
【天道根尊】:(98~112年・15歳~178年・81歳~○○○年)
天道根尊は、神武の論功行賞の時、生きていたので89歳の高齢です。
男性で信じがたい孝霊数値年齢ですが、解析結果なので止むを得ない。
道案内したのは、現地で娶った妃の子(妃の系譜ー道臣の系譜)と思われます。
【神武天皇】:(175~189年・15歳~199年・28歳~○○○年)
神武天皇を数値解析によって逆算すれば、天地明瞭です。
穂穂出見尊・豊玉姫➡ウガヤフキアエズ・玉依姫➡神武・吾平津姫 (男系系譜)
【天津彦瓊瓊杵尊】:(129~143・15歳~○○○年)/天穂耳尊の子です。
瓊瓊杵尊・吾多津姫➡天村雲命・吾俾良依姫➡神武・吾平津姫 (女系系譜)
注:吾多津姫の子は、吾俾良依姫です。吾俾良依姫の子は、吾平津姫です。
話を元に戻します。時は、素戔嗚尊が、筑紫国に上陸した122年です。
素戔嗚尊は、大蛇退治で手に入れた「草薙の剣」を天照大御神に奏上した。
「草薙の剣」は、天葦根尊から天照大御神の手に渡る。(後に、熱田神宮)
天照大御神は、お礼に前漢鏡・後漢鏡を下拝する。(後に、籠神社)
次に、草薙の剣が登場するのは、瓊瓊杵尊の天孫降臨の時です。
【邇邇芸命尊】:(129~143年・15歳(天孫降臨)~○○○年)
①豊國に移動した時、大屋津姫は豊宇迦大神を名乗るが天照大御神から
豊宇氣大神を名乗る事が許される。(122年)
異例の待遇です。神々の婚礼儀式を豊宇氣大神に任せている。
年齢差が示す様に天照大御神は、豊宇氣大神を可愛がった。
【天照大御神】:(82~122年・41歳~○○○年)
【大屋津姫=豊宇迦大神=豊宇氣大神】:(109~122年・14歳~○○○年)
②抓津姫は、宇迦御魂を名乗る事が許される。
【抓津姫=宇迦御魂】:(109~122年・13歳~○○○年)
➂五十猛命は、抓津姫の婿養子に入る。大屋彦命を名乗る。
【五十猛命=大屋彦命】:(109~122年・15歳~○○○年)
大屋彦命と宇迦御魂は、子を産む事を許されませんでした。
125年:大歳神・大己貴神・磐坂日子命(3義兄弟)が筑紫國に上陸する。
➀大歳神と香用比売の婚姻。(125年条)
【大歳神】:(111~125年・15歳~○○○年)
【香用比売】:(113~125年・13歳~○○○年)
大歳神と香用比売に2子が誕生。
【高倉下】:(126~140年・15歳~○○○年)
【御年神】:(127~141年・15歳~○○○年)
②大己貴神と神屋楯比売=宗像大社・中津宮の婚姻。(126年条)
【大己貴神】:(112~126年・15歳~○○○年)
【神屋楯比売=宗像三女】:(114~126年・13歳~○○○年)
大己貴神と神屋楯比売=宗像三女に1子が誕生。
【八重事代主】:(127~141年・15歳~○○○年)
⛩ 大己貴神神社
⛩ 宗像大社・中津宮
➂磐坂日子命と万幡豊秋津師比賣の婚姻。(127年条)
【磐坂日子命】:(113~127年・15歳~○○○年)
【第1妃=万幡豊秋津師比賣】:(115~127年・13歳~○○○年)
磐坂日子命と万幡豊秋津師比賣に2子が誕生。
【天穂日命=火明命】:(128~142年・15歳~○○○年)
【天津彦火瓊瓊杵尊】:(129~143年・13歳~○○○年)
素戔嗚尊の一家が豊國を後にして壹岐・対馬・長崎・佐賀に移動
したのは、磐坂日子命の婚姻が終わった後です。(127年条)
大己貴神と磐坂日子命の兄弟は、筑紫と豊國に残り治安維持に努める。
香用比売は、高倉下・御年神が生まれ、たので豊國で育てる。
万幡豊秋津師比賣は、豊國で天穂日命と瓊瓊杵尊を産み育てる。
大歳神・支佐加比売は、素戔嗚尊・豊受大神・宇迦御魂・大屋彦命
は、佐賀から長崎に移動する。
壹岐・対馬・長崎・佐賀の神社伝承では、素戔嗚尊が朝鮮から五穀の種
草木の苗木を持ち帰り、大屋津姫・抓津姫・五十猛命が配り歩いたと
今でも伝承記録が残る。
天照大御神の命で、出迎えに来たのは、第4子・天道根尊です。
【天道根尊】:(98~112年・15歳~127年・29歳~○○○年)
天道根尊の子は、天日神です。
【天道根尊】:(98~112年・15歳~122年・25歳~○○○年)
【天日神】:(113~127年・15歳~○○○年)
➃天日神と稚日女命の婚姻。。(127年条)
素戔嗚尊の一家は、此の婚礼に参列したと思える。
【天日神】:(113~127年・15歳~○○○年)
【稚日女命=天の織女】:(115~127・13歳~128年)・14歳
注:稚日女命は、機織り小屋で死亡した天の織女です。
天日神と稚日女命の娘は天道日女命です。
【天道日女命】:(128~140・13歳~○○○年)
⑤天日神と支佐加比売(乳母)の婚姻。(128年条)
【天日神】:(113~128年・15歳~○○○年)
【支佐加比売】:(115~128・13歳~○○○年)
注:支佐加比売は、神牟巣日神(壹岐の海神・政商・大穴牟遲神の
フィクサー)が島根半島から連れて来ていた。
元々は、支佐加比売を大己貴神と婚姻させる予定でした。
支佐加比売は、織女として麻の植樹・生産・紡績・織機に秀でた才能を
持つ事を見抜いていた。
稚児を抱えた天日神の妃として支佐加比売に婚姻を命じた。
天照大御神が岩戸が暮れすると期は、護衛の任務を果たします。
其の時、船で長崎から日向に移動を助けたのが五十猛命です。
勿論、文献にありませんが素戔嗚尊の一家は、此の時の殯・葬儀に
参列している。岩戸が暮れ=避難生活=稚日女命の殯・葬儀
古事記・日本書紀には、要略すると以下の記述があります。
天照大御神は、服織小屋で神衣を織っていた。
素戔嗚尊は、天の服織小屋の屋根から天の斑駒を逆剝ぎにして投げ入れる。
其の為、天の織女は、驚いて破壊された機織り機で陰を衝き死亡。
素戔嗚尊は、秋の穀物の収穫の時に天の宮殿を破壊し、天の田畑を荒らし、
畦道の溝を埋める。
注:稚日女命は、機織り小屋で死亡した天の織女です。
つまり、天道日女命が誕生して間もなく大洪水による山崩れで服織小屋が
倒壊する。(128年条)
天照大御神は、3つの命を下す。
1)天日神と支佐加比売(乳母)の婚姻。
2)大歳神と天知迦流美豆比買の婚姻。
3)素戔嗚尊の一家に四国・やまとに神々を祀る巡幸を命じる。
此の後、命を下した天照大御神は、長崎から日向に岩戸が暮れする。
岩戸が暮れ=避難生活=稚日女命の殯と葬儀。
素戔嗚尊の一家は、此の殯と葬儀に参列。(文献にはないが慣例・風習)
天照大御神の移動を船で手助けをしたのが五十猛命です。
護衛の任務をしたのが天道根尊です。(128年条)
⛩
天照大御神は、宇賀御魂(大己貴神)と磐坂日子命(天忍穂耳尊)が
高貴な人物の御子である事を知らされていなかったと思える。
高貴な人物とは、天冬衣神の子供である事を知らなかった。
そして、此の正しい真実の情報が無かった事が大きな確執を産む。
恐らく、宇賀御魂と磐坂日子命は、素戔嗚尊の子共と認識していた。
認識の違いが判るのは、岩戸が暮れ復帰の時、瓊瓊杵尊が誕生した時。
天照大御神・高皇産霊神が動く。
此の時、宇賀御魂は、既に帰国。
天忍穂耳尊を天照大御神の養子とする。(誓約の重要な要です)
一方、大己貴神は、支佐加比売との婚姻が破断となり、一人取り残された
大己貴神は、神産巣日神・刺國若比売と出雲國に帰国する。。(128年条)
さらに、大穴牟遲神には、婚姻受難が待ち受ける。
出雲郡宇賀郷の綾門日女命に求婚するも拒まれる。
【綾門日女命】:(116~128年・13歳~○○○年)
神門郡朝山郷の真玉箸玉邑比売命の婚姻は、時を待つ事になる。
【真玉箸玉邑比売命】:(118~130年・13歳~○○○年)
神門郡八野郷の八野若日女命に求婚するも拒まれる。
【八野若日女命】:(120~132年・13歳~○○○年)
仕方なく、兄達の八十神と因幡國に嫁取の旅に出る。(132年条)
見事、八神比売を娶る。
【八上比売】:(120~132年・13歳~○○○年)
大穴牟遲神は、命を狙われ子を認知する事が出来なくて
五十猛命(大屋彦命)と天道根尊のいる木の國に逃れる。
【五十猛命】:(108~132年・25歳~○○○年)
【抓津姫】:(110~132年・23歳~○○○年)
【天道根尊】:(98~112年・15歳~132年・35歳~○○○年)
子を産む事を許された抓津姫は、五十猛命が留守で大穴牟遲神を
天照大御神との誓約を終えて凱旋帰国を果たした素戔嗚尊のいる
出雲郡宇賀郷に逃がす。(132年条)
素戔嗚尊が動く。
晴れて、素戔嗚尊の末子・若須世理比売を神輿とし出雲国を譲り受ける。
【若須世理比売命】:(121・暮れ~133年・13歳~○○○年)
八神比売は、情緒不安定な状況で子を産んで帰国。入水したとも言う。
若須世理比売は、木股神(御井神)を養子とする。(133年条)
さらに、素戔嗚尊が動く。
素戔嗚尊は、大国主神と孫の鳥取神=鳥耳神の婚姻を許す。
【大国主神】:(112~134年・23歳~○○○年)
【鳥取神=鳥耳神】:(122~134年・13歳~○○○年)
大国主神は、八島野尊に伯耆國の統治を命じる。
【八島野尊】:(107~134年・28歳~○○○年)
大国主神と鳥取神に鳥鳴海神が誕生。
【鳥鳴海神】:(135~149年・15歳~○○○年)
素戔嗚尊は、隠居生活に入る。
高皇産霊神(高木神)も動く。
大国主神と多岐理姫(高皇産霊神の娘)の婚姻。
【大国主神】:(112~136年・25歳~○○○年)
【多岐理姫】:(124~136年・13歳~○○○年)
大国主神と多岐理姫に2子が誕生。
【阿遲鉏高日子根命】:(137~151年・15歳~○○○年)
【下照比売】:(138~150年・13歳~○○○年)
高皇産霊神(高木神)は、又動く
阿遲鉏高日子根命と天御梶日女命の婚姻。
【阿遲鉏高日子根命】:(137~151年・15歳~○○○年)
【天御梶日女命】:(139~151年・13歳~○○○年)
阿遲鉏高日子根命と天御梶日女命に多伎都比古命が誕生。
【多伎都比古命】:(152~166年・15歳~○○○年)
天若日子尊と高照姫の婚姻。
【天若日子尊】:(136~150年・15歳~157年)・22歳
【下照比売=高照姫】:(138~150年・13歳~○○○年)
天若日子尊は、高木神の返し矢で死亡。
唯一つの正しい真実情報が天照大御神に伝わらなかった為に
世代を超えても修復される事が無かった。
布津主神と武甕槌神の軍事作戦が登場するのを待つ。
By I、Yamashita