経済学者 斎藤幸平 著
❶欠乏を生む資本論主義
資本主義は人類史上、前例を見ないような技術発展をもたらし、物質的に豊かな社会をもたらした。しかし、99%の私たちにとって、欠乏をもたらしているのも、資本主義なのである。
欠乏の典型例が土地である。投機目的のため実際には誰も住んでいない部屋が多数存在しているにもかかわらず、路上生活を余儀なくされている人が大勢いる。家やマンションのローンや賃貸を払うために人生の大半を労働に充てなくてはならない。果たして、これを豊かといえるだろうか?多くの人々にとって、これは欠乏であり、その欠乏を生み出しているのが資本主義なのである。
資本主義の生み出す「希少性」と「コミュニズムがもたらす潤沢さ」の関係を説明しているのが、マルクスの『本源的蓄積論』である。
18世紀にイングランドで行われた「囲い込み」によって、農民は共同管理されていた農地から締め出された。住まいと生産手段を失った農民は、都市に仕事を求めて流れ込み、低賃金労働者になったのである。
「本源的蓄積」とは、資本が「コモン」の潤沢さを解体し、人工的希少性を増大させていく過程を指す。
土地は根源的な生産手段であり、それは社会全体で共同管理するものであったが、そのような共有地の存在は資本主義とは相容れない。多くの人が生活に必要なものを自前で調達できると、市場の商品は売れないからである。それ故に、資本は囲い込みや買い占めによって、共有地というコモンズは解体しなければならなかったのである。
「水力というコモン」から「独占的な化石資本」へと移っていったのも、希少性の問題である。石炭や石油は河川の水と異なり、輸送可能で排他的独占が可能なエネルギー源であった。そして、水車から蒸気機関へと移行すれば、工場を河川沿いから都市部へ移すことができる。河川沿いの地域では労働力が希少であるが、仕事を渇望する労働者が大量にいる都市部に工事を移せば、資本側が一気に優位な立場に立つのである。その結果、化石燃料が主力になって生産力は上昇したが、大気は汚染され、労働者は酷使され、二酸化炭素は増加の一途を辿っていった。
ここで重要なポイントは、本源的蓄積が始まる前には、土地や水といったコモンズは潤沢であった点である。共同体の構成員であれば、誰でも無償で、必要に応じて利用できるものであった。つまり、人々に開かれた無償の共有財だったのである。コモンズにおいては、共有財産であるからこそ、人々は適度に手入れを行い、利潤獲得が生産の目的ではないため、過度な自然への介入もなく、自然との共存を実現していた。
❷ローダデールのパラドックス
『私財の増大は、公富の減少によって生じる』という逆説である。
多くの人々が必要としている「公富」を解体し、意図的に希少性を生み出すことで、「私財」は増えていく。つまり、希少性の増大が「私財」を増やすということである。希少性は、買い占め・生産調整・意図的な破棄・広告などによって生み出される。惨事における便乗値上げも、希少性を利用したものである。
「私財」の増大は、貨幣で測れる「国富」を増やすが、国民にとっての富である「公富」(コモンズ)の減少をもたらす。そして、国民は生活に必要なものを利用する権利を失い、困窮していく。今まさに、アメリカや日本で起きていることである。
マルクスはこれを「価値」と「使用価値」の対立として把握し、資本主義の不合理さを批判したのである。「使用価値」とは、空気や水などがもつ、人々の欲求を満たす性質である。それに対して「財産」は貨幣で測られ、商品の「価値」の合計で算出される。
マルクスによれば、「価値」を増やしていくことが、資本主義的生産にとっての最優先事項になり、「使用価値」は「価値」を高めるための手段に貶められていく。
❸消費と労働へ駆り立てられる資本主義
かつて、人間は1日数時間働いて、必要なものが手に入れば、あとはのんびりしていた。昼寝をしたり、遊んだり、語り合ったりしていたのだ。ところが、いまや、貨幣を手に入れるために、他人の命令のもとで、長時間働かなくてはならない。資本主義に生きる労働者の在り方を、マルクスは「奴隷制」と呼んでいた。
資本主義のもとでの消費過程で、人々は豊かになるどころか、借金を背負うのである。住宅ローンは、額が大きい分、規律権力としての力が強い。膨大な額を30年にも渡るローンを抱えた人々は、ますます長い時間働かなくてはならない。借金を返すために、人々は資本主義の勤労倫理を内面化していく。残業代を得るために長時間働いて、出世のために家族を犠牲にする。
人々を無限の消費に駆り立てる1つの方法が、ブランド化である。広告はロゴやブランドイメージに特別な意味を付与し、本来の価値以上の値段をつけて買わせようとする。私たちの欲望や感性も資本によって包摂され、変容させられてしまうのである。
こうして、人々は理想の姿、夢、憧れを得ようと、物を絶えず購入するために労働へと駆り立てられ、また消費する。その過程に終わりはない。「満たされない」感覚こそが、資本主義の原動力なのである。だが、それでは、人々は一向に幸せになれない。
マーケティング産業は、食料とエネルギーに次いで世界第3の産業になっている。商品価格に占めるパッケージング費用は10〜15%といわれており、化粧品の場合、商品そのものを作るよりも、3倍の費用をかけている。
この悪循環から逃れるために、資本主義の人工的希少性に抗する、潤沢で豊かな社会を創造する必要がある。それがマルクスの脱成長コミュニズムなのである。
❹「コモン」を取り戻す
潤沢さと豊かをもつ公正な社会をつくるために必要なのが、資本によって解体された「コモン」の再建である。
「コモン」のポイントは、人々が生産手段を自律的・水平的に共同管理する点にある。
電力、水、食料、医療、教育などの管理方法と運営方法を生み出す実践が「コモン」なのである。一例が、市民電力やエネルギー共同組合による再生可能エネルギーの普及である。太陽光や風力は、石油やウランと異なり、どこでも、誰でも、比較的廉価に発電を管理することができる。再生可能エネルギーは「開放的技術」なのである。そのため希少性を作り出すのが難しい。市場経済のもとでは、再生可能エネルギーへの企業参加が進まない理由がここにある。
市民による電力の管理と運営は、これまでドイツやデンマークで進められてきた。近年では、日本でも非営利型の市民電力が広がりを見せている。耕作放棄地に太陽光パネルを大規模に設置するなど、地産地消型の発電を行う試みが増えてきている。収益は地域コミュニティの活性化のために使うことができるので、市民は自分たちの生活を改善してくれる「コモン」により関心をもち、より積極的に参加するようになる。
資本家や株主なしに、労働者たちが共同出資して、生産手段を共同所有し、共同管理する組織が「ワーカーズ・コープ」である。ワーカーズ・コープでは、職場訓練と事業運営を通じて、地域社会へ還元していく「社会連帯経済」の促進を目指す。このような組織は、労働者たちの連帯とアソシエーションによって、生産手段を自分たちの手に取り戻すことで構築される。
これは、決して夢物語ではない。イギリスやスペインや北欧諸国など世界中にワーカーズ・コープは広がりつつある。資本主義の牙城であるアメリカですら、ワーカーズ・コープの発展は目覚ましい。このような組織が、社会を変えていく1つの基盤になることは間違いない。
「コモン」を通じて人々は、市場にも、国家にも依存しない形で、社会における生産活動の水平的共同管理を広げていくことができる。水は地方自治体が管理できる。電力や農地は市民が管理できる。シェアリング・エコノミーはアプリの利用者たちが共同管理できる。IT技術を駆使した協同プラットフォームを作ることはできる。
99%の私たちが、豊かになれないのは、経済成長や生産が不十分なわけではない。資本主義が生み出す希少性により、搾取され続けているためである。
無限の経済成長を断念し、万人の繁栄と持続可能性に重きを置くという自己制御こそが、豊かで自由な社会を拡張し、脱成長コミュニズムという未来を作り出すのである。
