みんなが嫌(いや)だと
感じるような生活を
続けねばならないなんて、
誰が決めたの?

あ~~アホくさい

 

コピペ元へのリンク


社会人たちは会社に向かい、
子供たちは塾に向かう

電車で参考書を開きながら
リュックから潰(つぶ)れた菓子パンを取り出し

頬張(ほうば)る

誰のためにもなっていない社会を、
何のためかもわからずに、

自分の頑張(がんば)りが
マイナスをもたらしているのもわからずに、

“プラスになっている”ということにして、
今日もクルクル回すために、

自分が望まない時間にクルクル起きて、
行きたくもない場所にクルクル向かって、
訳のわからない苦しみにクルクル耐えるんだって

あ~~アホくさい

子供たちは
“みんなと一緒に社会で生きる力”を
身に付けるため行事に参加する

“役割”を通して
集団に貢献することの意味を
学ぶんだって

つまり何か“役割”をみつけて
それにしがみつかないと
この教室では生きられないんだって

いつも参加してるフリをして
何かしてないと
教室に居場所がなくなっちゃうんだって

だから
“みんな一致団結して頑張ってる感”のわりに
作業が進まないんだな

はぁ、なんでこんなことする必要あるの?

もちろん、大人たちが
毎日頑張っていることが
まさに“これ”だからさ!

電車に乗るのアホくさい
教室とかアホくさい
集会とかアホくさい
宿題とかアホくさい
“カリキュラム”とかアホくさい

アホくさいことを
アホくさいと思いながら
やら“ねばならない”のがアホくさい

アホくさいことをアホくさいと
認識してしまったら
アホくさくてできなくなっちゃうのに
やら“ねばならない”から
気力を振り絞ら“ねばならない”のも
アホくさいし

やらずに“負け組”に
押し込まれるのも
アホくさいし

それが嫌だからといって
アホくさいことを
アホくさいと認識しないよう
アッパラパーな集団妄想に
身を委(ゆだ)ねて現実を塗り潰(つぶ)すのも
アホくさい

あ~~も~~何もかも
全部アホくさいワ