先週の土曜日、劇団新感線の舞台『シレンとラギ』を観た。
新感線は初めて。
観ている途中、ふと、小学生の頃、年に何回か体育館に来ていた、劇団を思い出した。
お客(子供達)を楽しませようという気持ちがめいっぱい伝わってくる舞台。小学生の頃は劇の後、役者さんと触れ合う時間があり、人ではなく劇の役の人って思い込んでいるから不思議な感じだった。そんな庶民的にすごく楽しめる舞台だけれど、新感線は値段とチケット入手の面で非常に敷居が高いと思った。
観劇の後は、いつもの居酒屋。冷たい物をたくさん飲んではいけないと、鍼灸の先生に言われていたのに、舞台を観た後の興奮で身体も火照ってるし、ビールで乾杯の後、飲んだ事の無いハイボールを頼んでみた。美味しい~!意外と居酒屋メニューにも合う~最後いつも寿司を巻いてくれる安くて美味しい居酒屋さん。ハイボールをたくさん飲んでいっぱい話してご機嫌。鍼灸の先生、この日だけです…

そう言えば、このblogのタイトルは大和撫子。それらしい画像を。咲いて3日目なのに、まだまだ可憐な芍薬。見るたび顔がほころぶなぁ~大和撫子ですが、何か??-120520_0612~01.jpg
絵と写真を見るのが好き。自分では絵は書けないし、写真も撮れない。もっぱら見る側。同じ画家の絵にも、好きな絵、う~んの絵、がある。好きな絵の前には長時間居座る。何度も戻って見る。う~んの絵はさっと過ぎ去る。
この人の絵は、すべて好きだった。
引き込まれるようにどの絵の中にも入っていけた。
数年前から、ずっと見に行きたかった展覧会が、やっと、今年1月に近くに来た。画家『犬塚勉』38歳で早世した画家。
そのころ、私はとても疲れていた。私にとって、絵を見に行く事はパワーがいる。やめておこうかとも思った。でも、えいっ、さっと見ようと行ってみた。 あり得ない世界が広がっていた。
初期の作品から絶筆まで、約110点、絵を描くために生まれて来た人、の世界にひたり、私の心がゆるく解き放たれ、じぃーんと深い深いエネルギーが伝わってきた。
初期の作品はとにかく色が素晴らしい。私好みの色使い。センス良すぎ。暗い画材も、どこか未来へつながる物語が感じられる。絵を見ていると、どんどん想像が広がったり、何故か、かわいい!と思う。
その後、自然ばかりを描くようになる。
石ころ、野草、枝、ひとつひとつ丁寧に丁寧に描く。まるで葉っぱ一枚一枚と対話し、敬意を表しているよう。そのためか、絵の前に立っていると、自然に包まれて、優しさと厳しさを感じ、一体となる。
いつのまにか、心の力みがとれ、解放されていた。
以来、そのことをするために生まれてきた人、について考える。今までよりもずっと深く考えるようになった。
そして、こないだ、写真を撮るために生まれてきた人、『荒木経惟』の写真集展へ行ってきた。
あ~も~感動。そのことをするために生まれてきた人、は、しかりとした愛を土台に、ある種の突飛した強さと切なさが感動させるのか。
ありきたりの言い方になってしまったが、一見あれ。

初めての外ヨガ体験。もともと、ヨガも嫌いだったし、ヨガをする集まりも苦手意識で行く気がしなかった。 しかし!
グッドマンジムのヨガに通い始めてから、私は変わった。
CATIAさんのblogにもあったが、人は変わるのだ。 とは言え、イベントの外ヨガには積極的ではなかった…知らない人が集まるところはやはり苦手。でも、いつもの先生がとてもとてもいい先生方で、せっかく誘ってくれたし~がんばって行って来た。
桜いっぱいの神社の横に、見晴らしの素晴らしい木々に囲まれた空間。座っているだけでも最高の気持ち良さ。覚えたてのヨガだけれど、そんな事どーでもいい。身体を思いきり伸ばして新鮮な空気を送り込む。
ポーズの合間に木々が空が見え、にっこり微笑んで見守ってくれてる。足の裏で大地を感じる。私もちっちゃい木になった…
ヨガの後は、温かいお茶でお喋り。皆さん素敵な方ばかりで、楽しく過ごせた。
神社では桜祭りで賑やか。なぜかマーチングバンドの音。
初めて来た場所の桜は周りの景色とセットで、まるで映画のシーンか雑誌の1ページみたいな入り方をする。 毎年同じ場所で見る桜とは違うのね。
あ~ちっちゃいチャレンジだけれど、チャレンジして良かった。
自然を美しいとか雄大だとか感じることはよくある。
自分が自然の一部だと実感出来たのは、初めてかも。
私は、木になった。名も無い木ですが・・・$大和撫子ですが、何か??-120408_1600~01.jpg
今日から4月。
なにやら新しい気持ちになりますね。
桜のつぼみも膨らみ始めました。
桜の前に、素敵な桃の花に出会いました。
花を下から見上げるのって、いいですね。
大きく深呼吸して、
さぁ、新学期頑張ろう。大和撫子ですが、何か??-120401_1331~01.jpg
『死んだら星になる。一番輝いて、君に合図を送るよ。』少年マンガばかり読んでいた私が、繰り返し読んだ唯一の少女マンガの中のセリフ。

昨年11月に亡くなった、祖母の墓参りに田舎へ帰った。
片道7時間。簡単に行ける場所ではない。祖母が生きていたころは、『行きたい!会いたい!』と、勇んで通っていた。
今回はお休みをいただいたものの、何か言い訳をして、行かなくてもいい方法を考えて、「どうせ行っても・・・」と、とても身体が重かった。
実家から姉が来てくれると言ったので、なんとか行く気になった。ひとりでは無理だと思った。

最後看取ってくれた伯母夫婦の話を聞いたり、いつも祖母が居てた場所でみんなで過ごしたり、
お墓参りして仏壇に花を活けてるうちに、生きていた頃にいっぱい話した言葉や声が甦ってきて、あ~
おばあちゃんは私の中で生きてる、ってしっかり感じることが出来た。

夜7時にもなると、街灯もなく真っ暗で誰も通らなくなる田舎町に、1年半ほど前から小さなカフェが出来た。私は祖母の介護の合間の気分転換にお昼間1時間くらいお茶を飲んだり雑貨を眺めたりしに行っていた。夜はひとりで外出できない。今回は姉が一緒だったので、早い夕飯の後、ちょっとカフェに行こうと私が提案して、懐中電灯を持って歩いて5分のカフェに行った。夜は簡単なお酒も出してくれるみたい。手作りのとてもとても小さなカフェ。こんな田舎町でお客さん来るのかなってこっちが心配してしまう。二晩続けて通って、一杯ずつ、私はカクテル、姉はお茶を飲んでゆっくり話して過ごすと、とても気持ちが落ち着いた。お勘定の後、おつりを丁寧に両手で包み込むように返してくれて、温かい微笑みで送ってくれた。私たちがこの町の人でないことわかってるんかな、「また、いつか来てね」と伝わってきた。

帰り、まだ8時過ぎなのに、ありえない満天の星。
最近、星空を見上げてなかった・・・星って、こんなに美しかった??ダイヤモンドより美しいと思った。もうすぐ変わっていく冬の星座の大パノラマ!!我が我がと、それぞれ光っていた。ものすごく寒かったけど、しばらく姉と星空を見上げていた・・・時々姉が全く違う星座の名前を言ったり、星は何億光年先にある、など訳わからないこと言っていたのを無視して、私は、冒頭のマンガのセリフを思い出した。あっ、おばあちゃんが合図を送ってくれてる!
「来てくれてだんだん。また来てごせや。」田舎に帰るのを躊躇していたダメな私に、
祖母は、いつもどおり素晴らしい宝石をプレゼントしてくれた。

今晩もどこかで誰かがいろんな思いで夜空を見上げているんだろうな。