こんにちは わんわん

 

 

 

 

前回までの記事では ”自殺” における さまざまな問題を 考えました。

 

そして 記事の中でも 書きましたように・・・

 

私たちは ”自殺” によって ”地獄世界” へ 導かれます。しょぼん

 

 

 

 

 

では この世界における ”地獄” とは 何なのか?

 

それは 世界の主要な宗教において さまざまな表現が されています。

 

今回の記事では 昨年の記事で ”原始仏典スッタニパータ” での・・・

 

きわめて ”具体的” な ”地獄に落ちる人間像” を ご紹介しましたが・・・

 

そのあとの 最後の内容を このブログでは まだ 触れておりませんでしたので・・・

 

ここで ご紹介しながら 改めて 考察したいと思います。メモ

 

 

 

 

 

 

では まず 原始仏典スッタニパータ 第3章 第10節の内容を・・・

 

前半部で まとめて 振り返ります。(★印まで)

 

さらに 後半部では ”地獄世界の描写” を 新規に ご紹介します。

 

前半部は 昨年 4回の記事に分けて 詳細に 考察しましたので・・・

 

お時間がございましたら 最後にある 過去記事のリンクによって・・・

 

その内容を お読みいただければ 幸いです。星 

 

 

 

 

 

~原始仏典スッタニパータ 第3章 第10節 コーカーリャ より 内容要約~本

 

 

 

ブッダが ”遍歴(定住しないこと)” の 修行中に・・・ 

 

サーヴァッティー市の ジューダ林 (孤独な人々に食事を給する長者の園) に いたとき

 

”修行僧 コーカーリャ” が ブッダと 面会した。

 

彼は 修行僧仲間である サーリプッタ と モッガラーナが 

 

あるまじき ”邪念” と ”悪い欲求” に とらわれていると ブッダに 密告した。

 

つまり 彼らを ”誹った(そしった)” のである。

 

しかし ブッダは 彼らを 擁護して むしろ 信じなさいと コーカーリャを 諭した。

 

 

 

 

 

コーカーリャは ブッダに挨拶して その場を 去ったのだが

 

まもなく 彼の全身に 芥子粒(けしつぶ)ほどの はれものが出てきた。

 

それはやがて だんだんと大きくなり とうとう 木瓜(パパイヤ) ほどに 大きくなった。

 

そこから 膿と血が ほとばしるようになり 

 

彼は その病気によって まもなく 死去してしまった。

 

 

 

 

彼は サーリプッタ と モッガラーナに・・・

 

”敵意” を 抱いていて ”誹った” のであり

 

それによって ”紅蓮(ぐれん)地獄” に  ”転生(生まれ変わること)” してしまった。

 

そのことを 裟婆(サハー)世界の主である 梵天(ぼんてん)が ブッダに 告げに来た。

 

 

 

 

 

”紅蓮地獄” とは・・・ 

 

車の荷台に 大量に積み上げた ”ゴマの粒の総数×100年” を・・・

 

さらに ”20倍” するという 途方もない期間の 地獄世界を・・・

 

その後も 同じ長さの期間の ”8つの地獄世界” を 次々と経験して 行き着くという・・・ 

 

まさに ”無限に近い期間” を 意味する ”終末的な地獄” である。

 

 

 

 

ブッダは さらに 話を進めた。

 

 

 

657 人が 生まれた時には・・・

 

    実に ”口(くち)” の中には ”斧(おの)” が 生じている。

    

         ”愚者(愚かな人間)” は ”悪口” を 言って・・・

 

    その ”斧” に よって ”自分を切り裂く” のである。

    

    (つまり ”自滅する” ということ)

 

 

 

 

658 毀る(そしる) べきひとを 誉め(ほめ)て・・・ 

 

    誉めるべき人を 毀る者・・・

  

    かれは ”口” によって ”禍(わざわい)” を 重ね・・・

   

    その 禍のために ”福楽(幸福)” を 受けることができない。

 

 

 

 

 

659 賭博(とばく)で 財(財産)を 失う人は

 

    たとえ 自身を含めて ”一切を失う” としても・・・

    

    その ”不運” は ”わずかなもの” である。

    

    しかし 立派な ”聖者” に 対して・・・

 

    ”悪意” を いだく人の ”不運” は・・・ 

 

    ”まことに重い(深刻的に重い)” のである。

 

 

 

 

 

660 ”悪口” を 言い ”悪意” を 起こして

 

    ”聖者” を ”そしる者” は・・・

    

    ”10万年+36ニラッブダ(巨大な年数)”  さらに それに加えて

 

    ”+5アッブダ(巨大な年数)” という・・・

    

    ”途方もない(無限に近い)期間” の ”地獄世界” に 赴くのである。

 

 

 

 

 

661 ”嘘(ウソ)” を 言う人は ”地獄” に 堕ちる。

    

    また 実際にしておきながら ”わたしは しませんでした・・・” という人も同じ。

    

    両者とも ”行為の卑劣” な 人々であり 

    

    ”死後” には あの世で 同じような 運命を受ける。(地獄に堕ちる)

 

 

 

 

 

662 害心なく 清らかで ”罪汚れのない人(聖者)” を ”憎む” ような 愚者は

    

    必ず ”悪い報い” が 戻ってくる。

    

    風に逆らって ”微細な塵(わざわい・苦しみ)” を まき散らすような ものである。 

    

    (”苦しみ” が 収拾つかなくなり 手の施しようがなくなる という意味)

 

 

 

 

 

663 種々なる ”貪欲(とんよく・欲望)” に ふける者は 

    

    ”言葉” で 他人を ”そしる” 。

   

    彼自身は 信仰心なく 物惜しみして 不親切で ケチで 

 

    やたら ”陰口(悪口)” を 言う。

 

 

 

 

 

664 ”口(言葉)汚く” ”不実” で ”卑しい者” よ。

    

    ”生き物を殺し” ”邪悪” で ”悪行” を なす者よ。

    

    ”下劣” を 極め ”不吉” な ”出来そこない” よ。

    

    この世で あまり おしゃべりするな。

    

    お前は ”地獄” に 堕ちる者だぞ。

 

 

 

 

 

665 お前は ”塵(ちり・わざわい)” を 撒(ま)いて ”不利(不幸)” を 招き・・・

    

    ”罪” を 作りながら ”諸々の善人(聖者)” たちを ”非難” して・・・ 

   

    また ”多くの悪事” を 働いて・・・ 

 

    長い間 ”深い坑(あな・地獄)” に 陥る。

    

 

 

 

 

 

666 けだし(確かに) 何者の ”業(ごう)” も 滅びることはない。

    

    それは 必ず ”戻ってきて”・・・

 

    ”業” を ”作った主” が それを 受けることになる。

    

    ”愚者” は ”罪” を 犯して・・・ 

 

    ”来世” にあっては その身に ”苦しみ” を 受けるのである。

 

 

 

 

 

★★★★★

 

 

 

 

667  地獄に落ちた者は 鉄の串を 突き刺されるところに至り 

 

     鋭い刃のある 鉄の槍に近づく。 

 

     さてまた 灼熱した鉄丸(熱い鉄球)のような 食物を喰わされるが

 

     それは 昔作った業(ごう・行為) に ふさわしい 当然のことである。

 

 

 

 

 

668   地獄の獄卒(番人)どもは 捕えよ! 打て! などといって

 

      誰も やさしい言葉を かけることもなく 

 

      温顔(やさしい顔)をもって 向かってくることなく

 

      頼り(味方)に なってはくれない。

 

      地獄に落ちた者どもは 敷き拡げられた 炭火の上に臥し

 

      あまねく燃え盛る 火炎の中に入る。

 

 

 

 

 

669    またそこでは 地獄の獄卒どもは 鉄の網をもって

 

       地獄に落ちた者どもを からめとり 鉄槌をもって打つ。

 

       さらに 真の暗黒である 闇に至るが

 

       その闇は あたかも 霧のように広がっている。

 

 

 

 

 

670    また次に 地獄に落ちた者どもは

 

       火炎が あまねく 燃え盛っている ”銅製の釜” に 入る。 

 

       火の燃え盛る それらの釜の中で 永い間 煮られて 浮き沈みする。   

 

 

 

 

 

671    また 膿みや 血の混じった 湯釜があり 

 

       罪を犯した人は そこで 煮られる。  

 

       かれが その釜の中で どちらの方向へ向かって 横たわろうとも

 

       膿と血に触れて 汚される。

 

 

 

 

 

672    また ウジ虫が棲む 水釜があり 

 

       罪を犯した人は そこで 煮られる。(精神的・肉体的苦痛)

  

       出ようにも つかむべき 縁(ふち)がない。 

 

       その釜の上部は 内側に 湾曲していて 

 

         まわりが全部 一様だからである。(構造的に逃げられない)     

 

 

 

 

 

 

673    また 鋭い剣の葉がついた 林があり 

 

       地獄に落ちた者どもが その中に入ると 手足を切断される。

 

       地獄の獄卒どもは 鉤(カギ)をひっかけて 舌をとらえ

       

       引っぱりまわし 引っぱりまわしては 叩きつける。

 

 

 

 

 

674     また次に 地獄に落ちた者どもは 超えがたい

 

        ヴェータラニー河(地獄の入り口の河) に 至る。

 

        その河の流れは 鋭利な カミソリの刃である。 

 

        愚かな輩は 悪いことをして 罪を犯しては そこに陥る。

 

 

 

 

 

675     そこには 黒犬や ぶち犬や 黒カラスの群れや 野狐がいて  

 

        泣き叫ぶかれらを むさぼり喰うて 飽くことがない。 

 

        また 鷹や 黒色ならぬ カラスどもまでが ついばむ。

 

 

 

 

 

676     (以上のように・・・)

 

        罪を犯した人が 身に受ける この地獄の生存は 実に悲惨である。 

 

        だから人は この世において ”余生のある(生きている)” うちに・・・

 

        ”なすべきこと” を なして ゆるがせにしてはならない。 

 

 

 

 

 

677     紅蓮(ぐれん)地獄に 運び去られた者の 寿命の年数は

 

        荷車に積んだ ゴマの数ほどある・・・と 諸々の智者は 計算した。 

 

        すなわち それは ”五千兆年” と ・・・

 

        さらに(加えて) ”一千万の千二百倍” の 年数である。 (ほとんど無限) 

 

 

 

 

 

678      ここに説かれた 地獄の苦しみが どれほど永く続こうとも

 

         その間は 地獄に とどまらねばならない。

 

         それゆえに ひとは清く 温良で 立派な 美徳をめざして

 

         常に ”ことば” と ”こころ” を 慎むべきである。 

 

 

 

 

 

以上が 原始仏典スッタニパータ 第3章 第10節 コーカーリャ の 内容でした。本

 

 

 

 

 

”修行僧コーカーリャ” は なぜ ”地獄” へ 落ちたのか?

 

それは ただ 修行僧仲間であった 二人の僧侶を ”そしった” からです。

 

しかも それは ”作り話” であり まったくの ”ウソ” でした。

 

そして それだけのことで コーカーリャは ”紅蓮地獄” へ 落ちてしまいました。

 

このことは 私たちにとっても 非常に 怖ろしい話であると 思われます。ガーン

 

 

  

 

 

 

人間社会の中で 私たちは さまざまな ”ウソ” を つくことがあります。

 

それは 自分自身の ”保身” のために ”ウソ” を つくことが 多いようです。

 

その意味は 自分自身が ”不利な立場” に ならぬように・・・

 

さらには 自分自身を ”有利な立場” に するために ”ウソ” を つきます。

 

それは 私たちにとって ある意味 ”必要悪” とも 考えてしまいます。ドクロ

 

 

 

 

 

 

つまり コーカーリャは 僧侶集団の中で ”有利な立場” を 築くために・・・

 

仲間たちを ”そしる” ことで 彼らを ”おとしめる” ことによって・・・

 

自分自身を ”相対的” に ”高めよう” と 画策したのです。

 

しかし その行為は ”聖人” たちを ”おとしめる” ことであり・・・

 

人間として ”最悪の行為” だったのです。ショック!

 

 

 

 

 

 

では それが なぜ ”最悪の行為” なのか?

 

それは 私たちが ”聖人” に なることによって・・・

 

究極的に ”人間からの脱出” が 実現されるからです。

 

ブッダは その現象を ”解脱(げだつ)” という言葉で 表現しました。

 

ゆえに ”聖人” を ”そしる” ということは・・・

 

自分自身で ”聖人” を ”否定する” ことを 意味するのであり・・・

 

その人は 決して ”解脱” することは 不可能になる・・・ということです。ガーン

 

 

 

 

 

 

つまり ブッダが ここで 何を 言わんとしているのか?

 

それは 修行僧たちに 自分たちが 向かうべき ”崇高な目標” に 対して・・・

 

”正反対の道” に 向かってはならない! ということを 説いていたのです。

 

そして その ”正反対” に 存在する ”最悪の世界” というのが・・・

 

ここでも 説かれている ”紅蓮地獄” という ”苦しみの世界” なのです。メラメラ

 

 

 

 

 

 

そして 今回の記事での ★印以降の 内容というのが・・・

 

その ”紅蓮地獄” の ”具体的な内容” ということです。

 

それは 人間が まさに ”拷問(ごうもん)される姿” が 次々と 描かれています。ドンッ

 

しかし 現代の私たちが それを 読んでみても・・・

 

何か ”単純明快” な ”寓話(ぐうわ)” としての 印象を受けます。!?

 

 

 

 

 

 

その内容は おそらく ブッダ自身が 次々と語った というよりも・・・

 

”後世の弟子たち” が ”地獄世界の惨状” というものを・・・

 

”人間のさまざまな苦痛” を あちこちから 集成して まとめたようにも 思えます。本

 

 

 

 

 

 

それは 古代の人々の ”見識” というものは・・・

 

現代人に比べて 極めて ”貧困” つまり 彼らは ”情報弱者” であり・・・

 

彼らが ”理解できる範囲” は ”身の回りのこと” に 限定されるわけです。

 

つまり 人類が この地球上の あちこちで ”苦しんでいる現実” や・・・

 

人類史上の さまざまな時代での ”苦しみの出来事” なども・・・(※)

 

当時の人間たちには 理解するすべも なかったわけです。ショック! 

 

 

 

 

 

 

それゆえに ”地獄の苦しみ” を 理解させるためには・・・

 

当時にあった ”罪人たち” が 受けた ”残酷な刑罰” にも ならって・・・

 

誰にでも ”わかりやすく” 表現していたとも 考えられます。メラメラ

 

 

 

 

 

 

また それは 修行者たちへの 一種の ”脅迫(おどし)” を 意図しており・・・

 

日常における 修行生活を ”怠れば” その人の ”死後の来世” は・・・

 

まさに ”無限の時間” の ”激しい苦しみ” が 待っているという 説話なのです。

 

つまり ”地獄世界” における ”人間としての苦しみ” というものは・・・

 

この世界における ”真理” であり それは ”確実である” ということです。しょぼん雷

 

 

 

 

 

 

 

ゆえに この節での 重要な内容は 以下の部分です。注意

 

 

 

676     罪を犯した人が 身に受ける この地獄の生存は 実に悲惨である。 

 

        だから人は この世において ”余生のある(生きている)” うちに・・・

 

        ”なすべきこと” を なして ゆるがせにしてはならない。 

 

 

 

 

 

677     紅蓮(ぐれん)地獄に 運び去られた者の 寿命の年数は

 

        荷車に積んだ ゴマの数ほどある・・・と 諸々の智者は 計算した。 

 

        すなわち それは ”五千兆年” と ・・・

 

        さらに(加えて) ”一千万の千二百倍” の 年数である。 (ほとんど無限) 

 

 

 

 

 

678      ここに説かれた 地獄の苦しみが どれほど永く続こうとも

 

         その間は 地獄に とどまらねばならない。

 

         それゆえに ひとは 清く 温良で 立派な 美徳をめざして

 

         常に ”ことば” と ”こころ” を 慎むべきである。 

 

 

 

 

 

 

私たちが この人生で ”なすべきこと” とは 何か?

 

それは 人間は ”清く” ”温良” で 立派な ”美徳” を めざして・・・

 

常に ”ことば” と ”こころ” を 慎むべきである。 ということです。目

 

 

 

 

 

 

それゆえに 私たちは ”聖人” としての 生き方を 選ぶべきであり・・・

 

そのためには 自分が発する ”言葉” と・・・

 

その ”言葉の源(みなもと)” としての ”内面的な心” を・・・

 

”慎む” つまり ”慎重にあつかう” ことが 何よりも 重要なのです。 

 

それによって 私たちは ”聖人” として 生きることが 可能になります。星

 

 

 

 

 

 

これによって 私たちは ブッダが 目指していた ”ニルヴァーナ” である・・・

 

この世界の ”究極の平穏な状態” に 到達することが 可能になるのです。 

 

その状態が いわゆる ”解脱(げだつ)の状態” であると 考えられ・・・

 

それが この宇宙の中での ”人間以上の存在” を 意味するのです。

 

そのために 私たちは まず ”聖人” に なりなさい と 説かれているのです。目

 

 

 

 

 

 

 

つまり 私たちが これを ”人生の目標” に 設定すれば・・・

 

現代社会での ”さまざまな問題” に 直面したとしても・・・

 

そんな次元で ”悩み・苦しんでいる 場合ではない”・・・ということになります。

 

ゆえに 私たちが それらによって ”自殺する” ということも・・・

 

必然的に ”眼中から消え去る” ということに なるのです。クローバー

 

 

 

 

 

 

 

 

最近の 私自身が 日常生活の中で ”口ぐせ” に していることは・・・

 

”死後の来世 を 地獄にしない”・・・ ということです。

 

自分自身が 今後も ”聖人” に なれるかどうかは わかりませんが・・・

 

少なくとも この人生で ”なすべきこと” とは 何か?・・・

 

その反対に ”してはならないこと” とは 何か? ということを・・・

 

毎日 ”瞑想(めいそう)” を しながら ”自問自答” しております。得意げ

 

 

 

 

 

 

そこで ポイントになるのが ”心の平穏” です。

 

”なすべきこと” を やった後には ”心の平穏” が 実現します。ドキドキ

 

”してはならないこと” の 後には ”心の波乱” が 起こります。波

 

ブッダは 私たちに 何よりも ”平穏” を 実現しなさい と 説きましたが・・・

 

その意味は 私たちを この世界の ”本当の幸福” に 導いていたと 考えられます。目

 

 

 

 

 

 

 

皆様も ”ブッダの教え” を 日常生活の中に 取り入れて・・・

 

ご自身が ”聖人” を 目指すことを ”人生の目標” に 設定することで・・・

 

さらには ”自殺” という ”ムダな考え方” も ”根絶” して・・・

 

それによって ”地獄世界” とも ”絶縁” して・・・

 

ご自身を この世界の ”本当の幸福” に 導かれてみては いかがでしょうか?ニコニコ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(※) こちらが 昨年の記事のリンクですので お読みください (4回記事が続きます)星  

 

 

 

 

 

   そして ”地獄世界” についての 内容です