こんにちはわんわん



10月になりました。

私が 住んでいる 最近の 関東地方でも・・・

もはや ”11月の気候” に 近づいており・・・

急激に 肌寒さが 強くなっております。

皆様も 体調管理には 十分に ご注意の上・・・

毎日を どうぞ お元気に お過ごしください。ニコニコ






さて 今月も ”世俗に生きる” 私たちに 対する・・・

”原始仏教” の 重要な教えを 考えて参ります。本






仏教には 原始仏典 スッタニパータにも 登場しますが・・・

”施与(せよ)” という 教えがあります。

それは ”贈与(ぞうよ)” と 同じ 意味です。

では 私たち ”世俗に生きる人間” に とって・・・

なぜ ”与えること” が 重要なのでしょうか?目






それは おそらく・・・

私たちが ”利益” を ”受ける” ことが・・・

”人間” としての ”最大の関心事” だからです。¥アップ

つまり その ”反対の行為” である・・・

”与える” という 行為が・・・

自分にとっての “損失” にも 感じられるわけです。ダウンガーン






しかし 私たちが ”人間” であることから・・・

“脱出” することを 目指すのであれば・・・

私たちは ”人間” として ”あたり前の考え方” からも・・・ 

“脱出” することが 必要であると 考えられます。ドア






スッタニパータ 第二章 第四節 ”こよなき幸せ” においての・・・

中村元氏による 註釈にも それについて 言及されています。

その内容を ご紹介しますと・・・ひらめき電球






~No.263 施与 ー 贈与と 言い換えてもよい。

”物質的なもの” で あってもよいし・・・

”精神的なもの” ”無形なもの” で あってもよい。

他の人々に ”何かを 与える” ことによって・・・

人々を ”助ける” ことが できるのである。

”自分のものだ” と言って 握りしめるのではなく・・・

他人に ”何かを 与える” ところに・・・

人生の ”深い喜び” が あるのでは ないだろうか。~




 
などと 中村氏は 述べられています。本





”ブッダの教え” では ”所有するな” という 教えが ありましたね。

それは 自分が 何かを ”所有する” ことで・・・

それを ”失う時” が 確実に やって来るのであり・・・

そこで “深い悲しみ” や ”深い絶望” に 襲われるからです。しょぼん






そして 私たちは そこで “大きく動揺する” ことになり・・・ハートブレイク

”平穏の境地” からは ”大きく逸脱する” ことに なるわけです。

つまり ブッダが 目指していた “永遠の平穏” としての・・・

”ニルヴァーナ(涅槃寂静)” には 決して 到達することが できません。虹×






では 私たちが ここで ”所有する” という行為の・・・

”正反対の行為” とは 何か? を 考えると・・・

それが ”与える行為” であると 理解できます。ひらめき電球プレゼント





さらに ブッダは その教えの中で・・・

何かを ”与える” ことによって・・・

“見返り” を ”受けてはならない”・・・とも 説いていました。(※)

つまり ”報酬” を ”受けてはならない”・・・ことになるのです。¥×






それゆえに 私たちが ”施与” である ”与える行為” というものを・・・

日常生活の中で いつも 行っていると・・・

それは ”所有しない境地” へ 自ずと 近づけることになると 考えられます。走る人




  

私たち 人間にとって ”自分の利益” から 遠ざかることは・・・

極めて 難しいことであると 考えられます。

しかし その ”反対の行為” である・・・

”与える行為” を 日頃から 行うことにより・・・

それに伴って ”喜び” すらも 感じることができれば・・・

私たちは ”人間としての限界” も ”超越できる” と 考えられます。星







そして この世界には・・・

”無償(むしょう)の愛” といわれる・・・

決して “見返りを求めない” 愛情というものが 存在します。

それは おもに “親から子への愛情” が 代表とされています。ドキドキ女の子男の子






また 私たちのような ”世俗に生きる者” としては・・・

No.262の の 詩経にも 書かれていますが・・・

“父母に仕えること” や ”妻子を愛し護ること” も 大事なのです。

その意味とは・・・

人間同士の ”無償の愛” を ”実践すること” であると 考えられます。目







そして 人間が ”与える” という行為は・・・

仮に 自分自身が “無一文” であっても 可能です。

つまり 自分自身が 何も ”所有” しておらず・・・

”財産” が 全く 無くても 可能なのです。

それが “無財の七施” といわれる 仏教での 教えがあります。(※)星



 


そして その ”七施” というのは・・・


眼施(がんせ)        優しいまなざしで接する

和顔施(わがんせ)     なごやかな顔 (笑顔)を みせる
   
言施(ごんせ)        やさしい言葉をかける
    
心施(しんせ)         思いやりをかける
   
身施(しんせ)         自分の体で奉仕する
   
床座施(しょうざせ)     人に 席を譲ってあげる
   
房舎施(ぼうしゃせ)     住まいを 人の為に提供する    という 七つがあります。  
  





このように 人間には・・・

”与えるもの” は いくらでも あるわけです。

そして ”与える行為” を 日常生活で 繰り返していれば・・・ドキドキ






私たちは 自然に ”仏への道” を 進むことが 可能になり・・・

それによって ”周囲の人々” も 助けることができ・・・

さらには 自分自身も ”救われる” ことに なるようですね。虹









私たちは この世界で 生きる上では・・・

”周囲の人々” から ”与えられる” ことを・・・

ただ ひたすら 待っているのではなく・・・得意げ









決して “見返り” を 期待しないで・・・

”自分の方” から ”周囲の人々” に 対して・・・

”与えつづける” ことを 実践して参りたいですね。ニコニコ















(※) ブッダの教えでの 重要な内容である・・・

    “ブッダの教え 報酬を 受けてはならない” の 記事は こちらです星




    さらに 人間の ”愛情” について 考えました・・・

    ”無償の愛 とは?” の 記事は こちらです星




     そして  ”無財の七施” について 考えました・・・

     “笑顔の意味” の 記事は こちらからどうぞ星