こんにちは
産業革命と 資本主義の発展に ともなって
イギリス社会は ”自由競争” を 放任していましたが
市民間の ”貧富の差” は ますます ひどくなって行きました。
この ”社会矛盾” を 解決する必要に イギリスは 迫られることになり
その中で 登場したのが 経済学者でもあった ”ミル” でした。
ジョン・スチュアート・ミル(1806~1873年) は
その父が ”ベンサム” の思想に 傾倒していたことから
ミル自身も ”功利主義” を 支持していましたが
ベンサムの思想に対しては かなり ”批判的な論理” を 展開しました。
ミルは ”富の生産” について
”自由競争” による ”資本主義原理” を 認めていましたが
それによって 生じる “不平等” は ”分配の調整” によって 是正すべきだとして
その実現には ”富者” や ”為政者” の ”道義心の発動” に 期待したのです。
つまり 個人的な ”道徳心” ですね。
また ベンサムの説いた 思想である
”最大多数の 最大幸福” についても “修正” を 加えて
ミルは ”私益” よりも ”公益優先” の 立場をとり
場合によっては ”私益を 犠牲にする” ことが 必要であるとして
個人の ”利己心の克服” や ”克己心の発動” が 必要だと 強調しました。
これらは 人間の ”本性(本能)” に 内在するものであり
他人への ”同情” や ”仁愛” に 基づく場合には
”利他主義(人道主義)” になりうると 考えたのです。
そして ベンサムが ”快楽” を ”量的” に 計算できるとしたことに 対しては
ミルは これも 修正して
”快楽” には 量的に計算できない ”質的な違い” が あると 唱えました。
そして 彼の 代表的な言葉には・・・
”満足した 豚であるよりは 不満足な 人間であるほうがよく・・・
満足した 愚か者であるよりは 不満足な ソクラテスであるほうがよい・・・”
というものがありました。
この意味とは・・・
”感覚的な快楽” よりも ”精神的な快楽” の 方が ”価値が大きい” という意味であり
”低レベルの存在” で 満足しないで ”高レベル” の 人間であれ・・・という意味でもあり
人間としての 存在の意味を 深く考えよ・・・という メッセージだったようですね。
さらに ミルの ”自由論” においては
彼の ”自由についての認識” が 示されていましたが
そこでは ”危害の原理” というものがあり
それは・・・
”他人に 危害を 与えるものでない限り それは 自由であるべきだ” という内容でした。
これは 国家が 個人を 規制する際の ”判断基準” を 示したものでした。
しかし この理論は その後・・・
”他人に 迷惑をかけなければ 何をやっても 許される・・・” という 意味にもなり
人間の ”根本的な 倫理観” を 否定する 理論にもなってしまいました。
”ミル” は ベンサムの功利主義を ”修正” したという わけでしたが
実際は 人間の ”道義心” や ”同情心” の 発動に 期待しており
これでは ”アダム・スミス” の 思想と ほとんど変わらないものです。
つまり ”楽観的” と 言わざるを得ません。
そして 肝心の ”最大多数の 最大幸福”・・・ に ついても
”私益” よりも ”公益重視” を 強調しましたが
これは ”フランス革命” での ”一般意志” での ”公共の利益” と 同じであり
フランス革命の ”現実” を 振り返れば・・・
その後 人間は ”私益の追求” に 向かうことが 必至でした。
そう考えれば この ミルの思想も
ベンサムの思想と ほとんど変わらないもの・・・と いえるのです。
”功利主義” という思想は
どう見ても 人間の 快楽への欲望が ”中心” に 存在しているために
結局は 人間の 個人的な ”利益の追求” に 向かってゆく 宿命にあるようで
やがて 個人の ”道徳観” や ”倫理観” も 軽視されてゆくようです。
つまり この思想は 人間社会を ”混乱” に 陥れる 危険性を 含んでいるわけです。
私たちは その後 世界で起こった ”歴史事実” も 重視して
”思想の本質” を 見極める必要が あるのです。
このような イギリスから始まった ”資本主義社会” の “矛盾の露呈” によって
世界の思想に それに対抗する ”社会主義思想” を 起こさせます。
次回からは 現代の 日本社会の問題でもある “労働問題の本質” にも つながる
”社会主義思想” について 考えてゆきます。
産業革命と 資本主義の発展に ともなって
イギリス社会は ”自由競争” を 放任していましたが
市民間の ”貧富の差” は ますます ひどくなって行きました。
この ”社会矛盾” を 解決する必要に イギリスは 迫られることになり
その中で 登場したのが 経済学者でもあった ”ミル” でした。
ジョン・スチュアート・ミル(1806~1873年) は
その父が ”ベンサム” の思想に 傾倒していたことから
ミル自身も ”功利主義” を 支持していましたが
ベンサムの思想に対しては かなり ”批判的な論理” を 展開しました。
ミルは ”富の生産” について
”自由競争” による ”資本主義原理” を 認めていましたが
それによって 生じる “不平等” は ”分配の調整” によって 是正すべきだとして
その実現には ”富者” や ”為政者” の ”道義心の発動” に 期待したのです。
つまり 個人的な ”道徳心” ですね。
また ベンサムの説いた 思想である
”最大多数の 最大幸福” についても “修正” を 加えて
ミルは ”私益” よりも ”公益優先” の 立場をとり
場合によっては ”私益を 犠牲にする” ことが 必要であるとして
個人の ”利己心の克服” や ”克己心の発動” が 必要だと 強調しました。
これらは 人間の ”本性(本能)” に 内在するものであり
他人への ”同情” や ”仁愛” に 基づく場合には
”利他主義(人道主義)” になりうると 考えたのです。
そして ベンサムが ”快楽” を ”量的” に 計算できるとしたことに 対しては
ミルは これも 修正して
”快楽” には 量的に計算できない ”質的な違い” が あると 唱えました。
そして 彼の 代表的な言葉には・・・
”満足した 豚であるよりは 不満足な 人間であるほうがよく・・・
満足した 愚か者であるよりは 不満足な ソクラテスであるほうがよい・・・”
というものがありました。
この意味とは・・・
”感覚的な快楽” よりも ”精神的な快楽” の 方が ”価値が大きい” という意味であり
”低レベルの存在” で 満足しないで ”高レベル” の 人間であれ・・・という意味でもあり
人間としての 存在の意味を 深く考えよ・・・という メッセージだったようですね。
さらに ミルの ”自由論” においては
彼の ”自由についての認識” が 示されていましたが
そこでは ”危害の原理” というものがあり
それは・・・
”他人に 危害を 与えるものでない限り それは 自由であるべきだ” という内容でした。
これは 国家が 個人を 規制する際の ”判断基準” を 示したものでした。
しかし この理論は その後・・・
”他人に 迷惑をかけなければ 何をやっても 許される・・・” という 意味にもなり
人間の ”根本的な 倫理観” を 否定する 理論にもなってしまいました。
”ミル” は ベンサムの功利主義を ”修正” したという わけでしたが
実際は 人間の ”道義心” や ”同情心” の 発動に 期待しており
これでは ”アダム・スミス” の 思想と ほとんど変わらないものです。
つまり ”楽観的” と 言わざるを得ません。
そして 肝心の ”最大多数の 最大幸福”・・・ に ついても
”私益” よりも ”公益重視” を 強調しましたが
これは ”フランス革命” での ”一般意志” での ”公共の利益” と 同じであり
フランス革命の ”現実” を 振り返れば・・・
その後 人間は ”私益の追求” に 向かうことが 必至でした。
そう考えれば この ミルの思想も
ベンサムの思想と ほとんど変わらないもの・・・と いえるのです。
”功利主義” という思想は
どう見ても 人間の 快楽への欲望が ”中心” に 存在しているために
結局は 人間の 個人的な ”利益の追求” に 向かってゆく 宿命にあるようで
やがて 個人の ”道徳観” や ”倫理観” も 軽視されてゆくようです。
つまり この思想は 人間社会を ”混乱” に 陥れる 危険性を 含んでいるわけです。
私たちは その後 世界で起こった ”歴史事実” も 重視して
”思想の本質” を 見極める必要が あるのです。
このような イギリスから始まった ”資本主義社会” の “矛盾の露呈” によって
世界の思想に それに対抗する ”社会主義思想” を 起こさせます。
次回からは 現代の 日本社会の問題でもある “労働問題の本質” にも つながる
”社会主義思想” について 考えてゆきます。