こんにちは わんわん




カントの思想を 受けて・・・

ドイツでは その後 ”ドイツ観念論” の 完成者といわれた

”ヘーゲル” が 登場します。星





ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル(1770~1831年)は

大学在学中に ”フランス革命” を 知ることになり

初めは 啓蒙思想の思想に 大きな共感を寄せて 感激していましたが

その後の ”ロベスピエールの 恐怖政治” や

”ナポレオンによる 独裁政治” などの ”現実” を 見せつけられると・・・

理想と現実の ”対立” や ”矛盾” を 痛感することになり

人間理性への ”不信感” も 芽生えました。ガーン





こうした中で ヘーゲルは

このような “矛盾社会” の 問題に 取り組むことになり

それにつれて 現実の社会が持つ ”歴史的性格” に 注目するようになりました。

そして この世の すべての ものごとは・・・

それ自身の 内部にある “対立・矛盾” によって 

絶えず ”変化” して ”発展” してゆくと 考えました。

そうした見地によって ”カントの思想” を 含めた・・・

”ドイツ観念論” を ”体系化” しました。本





ヘーゲルも ”人間の理性と自由” を 尊重していました。

しかし 彼は カントとは 異なり

”理性” や ”自由” を ”個人の内面” に 閉じ込めるものではなく

現実の 社会生活の中での 客観的な ”法律” や ”制度” として 

”具体化” されるべきものであると 説いたのでした。メモ





そのため カントの思想は 個人の内面的な ”自律性” によるものであるので 

カントの ”自由観・道徳観” を 

ヘーゲルは ”ひとりよがりなもの” として ”批判” したのです。パー






それでは 理性や 自由が 具体化される・・・

”現実の社会” とは どのようなものなのか?
  
ヘーゲルは 社会とは・・・

”歴史的” に ”運動して変化するもの” であると 考えて・・・

そのような ”変化” は ”一定の法則” によって 起こるものだと 説きました。

その法則を ”弁証法” と 呼んだのです。目 






”弁証法” とは・・・

もともと ”問答(対話)” の 方法や 法則を 意味しましたが・・・

ヘーゲルは ”思考と存在” における ”運動と変化の法則” と 解釈しました。ひらめき電球






”あるもの(正)” が 存在する時に・・・

それ自身の 内部に ”対立して 矛盾するもの(反)” を 含んでおり

それを ”より高いところ” から “総合・統一” が 起こると

”第三の 新しいもの(合)” が 生み出されてくる・・・と考えました。 

つまり 自然も 社会も・・・

このような ”法則” に従って 変化するものと 説いたのです。目






そして その ”弁証法” の ”原動力” になるものとは 何か?

ヘーゲルは それを ”絶対的な自由” の・・・

具体的な 実現をめざして ”活動する精神” と 考えて・・・

これを ”絶対的精神” と 呼んだのです。星






この ”絶対的精神” とは・・・

いわゆる ヘーゲルの ”独自の用語” でしたが

その意味は 万物を創造し 支配する “神” と 同じ意味だったようです。天使

それゆえ ヘーゲルの思想は ”絶対的観念論” とも 呼ばれました。






こうした見地から 人類の ”歴史” というものは・・・

”絶対的精神”が 人間の ”自由な意識” を ”媒介” にして

その本質である ”自由” を 実現してゆく ”過程” であると考え

”世界史” とは ”自由の意識” の ”進歩” である・・・と 説いたのです。星






つまり ヘーゲルは・・・



以前の ”専制君主” だけが 自由だった 時代から・・・王冠1

次に ”少数の人間” が 自由になる時代を 経て・・・

やがて ”すべての人間” が 自由になる時代へと 展開している・・・


と 考えたのでした。目






ヘーゲルは このように ”自由” とは・・・

人間の ”個人の問題” ではなく・・・

人類の ”歴史” における・・・

”人間社会 において 実現されるもの” だと 考えました。

この点が カントの思想と ”決定的に異なる” ものですね。パー







そして ヘーゲルは 人間社会の ”正体” を 深く 追究してゆきました。

それが ヘーゲルの ”国家論” でした。

長くなりましたので その内容は また次回に。ニコニコ