こんにちは 



きのう 8月9日は 長崎原爆の日でしたね。

今年も おごそかに 平和祈念式典が行われました。虹



先日 土曜日に放送された NHKスペシャルの番組を テレビ

私は 録画しておいて その後 観たのですが

その内容が あまりに衝撃的でしたので ご紹介します。

番組のタイトルは

”原爆投下 活かされなかった 極秘情報”  でした。





1945年 8月 広島と長崎に 原爆が 続けて投下されましたが

この出来事を 日本軍は 当時 事前に把握しており

場合によっては 死傷者を 

ずっと 減らすことができていた ということでした。




当時の日本軍の 特殊情報部隊の 諜報活動によって ヘッドフォン  

アメリカ軍の動きは かなり正確に とらえられていました。

アメリカの空爆部隊に 新しい任務を帯びた 小さな部隊が結成され

不穏な動きを始めたことも 察知していました。




広島に 原爆を搭載した B29が飛来する前にも

日本軍は 何かが 起こりそうであることを 知っていましたが

空襲警報は出されずに 市民生活が 普段通りに行われ

そこに 原爆が投下されてしまい 

莫大な 死傷者を出してしまったということでした。しょぼん




なぜ そうなったのか・・・

それは 当時の日本軍の 面目を保つことが 原因のようでした。




アメリカの原爆開発は 日本でも知られており

日本でも 競争的に 原爆の開発が進行していました。

しかし 物資不足や 戦況の悪化などで

日本での開発が 途中で断念されると

アメリカでも 原爆の完成は 不可能であろうという見解になり

原爆の存在が 何の根拠もなく 否定されました。




つまり 日本軍に できないことを

アメリカ軍が できてしまうことを 認めると

日本軍の劣勢を 認めることになり 敗北を意味します。

それは 日本軍の 面目にかけて 

決して 許されないことのようでした。ガーン





アメリカ軍に 不穏な動きがあっても

それが 原爆による爆撃とは 考えずに

広島では 何も 起こり得ないとして 

8月6日の 原爆投下前には 空襲警報も 出されませんでした。

当時の 米軍の爆撃は

数十機の 大編隊で飛来し 大規模に 爆撃していたので

原爆を投下する爆撃隊が ほんの数機の 編隊だったので

日本軍は 偵察機ぐらいのものだと 誤解したようですね。




もし その時 日本軍が 得られた情報を 正確にとらえて 

空襲警報を 出していれば・・・

広島の街は 大規模に破壊されても

市民たちは 防空壕の中に 避難できて

人命の多くは 救われていたと考えられます。

本当に 残念でなりませんね。ショック!




そして 長崎の 原爆投下も

爆撃の5時間前に それが察知されており

それでも 日本軍は

2発目の原爆投下は あり得ないと 勝手に判断し

爆撃機を 迎撃もせずに

長崎への原爆投下を 許してしまったということでした。しょぼん




この事実は 最近になって 初めて 明らかになったそうです。

それは 日本軍が 敗戦と同時に 証拠資料を隠滅し

歴史的事実を 葬ったからでした。

関係者たちが 口を開いたのも

戦後66年経って その時期が来たと 考えたからのようです。

しかし それは あまりにも残酷な 事実ですね。しょぼん




当時の 日本軍の 面目を保つために

事実を 隠してまでも 否定し続け

被爆地の状況を さらに 悲劇的なものにしてしまった・・・

当時の 日本の指導者の責任は 大変に重いですね。ドクロ





そして その事実は 

今年の 福島の原発事故にも 似ている状況のように 私は思いました。

福島原発の 爆発事故当時に 

政府は 放射能汚染の 拡大の事実を公表せずに

福島県の 地域住民は 何も知らされずに 

放射能を 少なからず 浴びてしまいましたね。

政府は 国民を パニックしたくなかった などと言っていましたが

実際は 今後の 原子力開発に 支障をきたすことを恐れ

知り得ていた情報を 公開しなかったようにも 見えました。




今年の そのような 一連の出来事も

これから ずっと 後になって 

その真相の詳細が 明らかにされる日が 来るようにも思えます。

このたびの 番組を見て そんな風にも感じました。目




原子爆弾を投下し 

無差別に 広島・長崎の市民を 地獄の底に突き落とした

アメリカの責任は 永久に消えることはないでしょう。 

そして 原子力エネルギーは 日本にとって 

原爆を投下された ”かたき” をとるために

平和利用の 名のもとに 

原子力発電所の拡大が 進行したとも 言えるかもしれません。




しかし 事故が 一度起こってしまえば

放射能汚染に 私たちは 無力である事実が 突きつけられました。

まさに 原子力は 原爆投下以来

呪われたエネルギーであると 認めざるを得ないようです。ドクロ





広島 長崎での 悲劇の教訓は

今後の 私たちの 日本社会の中で 十分に活かす必要があります。

戦争からの教訓 そして このたびの 震災からの教訓

そして 人災による 被害の拡大の教訓・・・など

私たちは 常に 学んで行く必要があるようです。







このたびの NHKの番組は 今後も 再放送されると思います。

今回 見逃された方も 次の機会に ぜひご覧下さい。目