3年間


昨日はYKGの結成3周年記念ライブ

『WE WARE THE RUN3』

がありました。




ラストの新曲は、ヤ○ザっぽい素敵なプロデューサーさんの憎い演出により

過去の記憶が走馬灯のように頭を巡ったので少し振り返ってみます。








~2011年~


10月15日

 まさかの山口県でご当地アイドルのオーディションが・・・。
 親友がオタクだったので情報は知ってたけど、行ってません。
 あの頃はCDの購入はおろか、現場に行くことなんてって思ってました。



1週間後くらい


 例のご当地アイドルの初イベントの情報が。
 な、なんと...会場は身に覚えのある場所・・・
 同級生のTwitterのRTで知りました。

 初めは全く期待しておらず、
 どうせ軽い気持で遊び半分な最近の若者なんやろうな、と疑いの目で見てました。
 とはいえ、こんな身近でやるならと、一応候補者のつぶやきをみてみました。

 やっぱり、、、
 みんな「山口県を盛り上げるために頑張って行きたいです!」的なコメントばかり。
 ある意味期待通りな期待はずれな定型文だらけでした。

 しかし、なかに一人変なやつが・・・(笑)
 「夢は大きなステージでエンドロールを踊ること!」
  まさかのAKBw
 そして語尾には「顔文字(´・ω・`)」、「www」
  お、オタクww
 しかもアイドルになるはずなのにプロフィール画像がなんと・・・
  ジャージ姿www
 ・・・決まりました。

 着飾らず、ただ一人、自分のやりたいことを口にしている。
 自分にはない発想を持っている。
 まさかのオタク。←
 この子と関わることで、もしかしたら自分の世界が広がるんじゃないか。
 基本的に他人に興味がないのに、面白い子がいるんだなと感心し、
 なにかの間違いでRTしてしまい、フォローされてしまいました。
 それが今の推しです。

 他の人には興味がなく、その子だけフォローしてました。
 俗にゆう単推し決め込んでました。
 それからというものの、AKBについて必死に勉強しました。
 話題についていくために。
 
 この頃だったかな、、、ブログのタイトル募集してたの?
 名付け親となったのが、かの有名な最古参シュンシュン@袖無しである。笑



10月29日

 YGI(山口県ご当地アイドル)との出会いでした。
 いわゆる高専祭新規というものに私はあたります。

 もちろん曲はないです。ステージで自己紹介がありましたね。
 「ふぐより毒はないけれど、夏みかんほど甘くない」
 それぐらいしか覚えてないです(笑)

 そして、初のサイン握手会というものへの参加
 並び的に、初めての握手はよっしーに奪われました。いまだ根に持ってますw←
 いまやよく喋るようになった2人はまだお子様で、ド塩でしたね。
 小さなオタクとの出会いもここが初めてでした。まだなんとなく会話は覚えてる。
 サインに「うめちゃん大好きー」って書いてあるんですがどうしろと・・・笑

 Uぽんとの最初の出会いであり、しゅんしゅんという後輩の存在を知った日でした。

 

そして歩き始めました。



11月
 
 ひっそり結成式がありました。
 間もなく1人欠けました。
 なんて順調なスタートなんでしょう!笑

 放課後なんちゃらという放送やってましたねw
 かつての盟友も今や生き残っているのはよしかさんのみ。
 よしかさんを見ると安心します(笑)

 12日
 丁度誕生日の人が・・・w
 初めての生誕祭が開催されました。
 出席者は5人...くらいだったかな?
 人のために何かをするというのが初めてで、お祝いになったかは分からないけど。
 おしゃれなことができる人間じゃなくてごめんなさい。


 あとはちょくちょくトークイベントがありましたね。
 会話する時間もないたった5分の何の内容もないイベントにも
 なぜ行ってたのか意味が分かんないんですけど(笑)
 ただただ、自分が応援すると決めた人に夢を諦めて欲しくなかったこと。
 ファンが誰もいない辛い思いを経験して欲しくなかったからかな。


 
12月24日

 「私たちからのクリスマス DAY
正式にはここがデビュー日になりましたね。
まだピヨちゃんもむぎちゃんもれなもスタメンじゃなくて、
ゆりえさんはまだギャルやってましたね。w



~2012年~

ここからはある程度飛ばしながら書きます。


 ぼっ○くりプリン販促イベントが始まりました←

 
1月3日

 モールイベ。
 やっばいJKヲタ達との遭遇。
 下松市の未来に不安を感じました。

 ピヨさんの存在に気が付いた日でした。



1月15日

 出会ってしまった・・・ひろもも氏w



※2月14日(イベントではありません)
 肺に穴があきました。しばらく休養をとることになりました。
 18日に控えている初ライブハウスイベントに行けなくなるという...

 再発繰り返してたので次はめちゃくちゃ痛いらしい開胸手術になる。
 ここから手術するかしないかいろいろ葛藤があったんですが、、、
 することにしました。決意したのは3月5日あたりだったかな...
 
 いつか推しの夢が叶ったときに、再発してその場に行けなかったら...。
 一人の大きな夢を持った小さなオタクとの出会いにより、人生の選択が変わりました。
 おかげで病弱だった私も健康になったよありがとう(笑)



3月10日

 知る人ぞ知る、かの伝説のまよmixが生まれた日である。
 そして、何人たりともあの時の手の動きを超えることはできないであろう。

 どこかさんとの合同イベントでした。
 入院直前のライブになりました。
 素敵なイベントでした。とても思い出に残っています。
 運営さんはひと悶着あったみたいですがw
 手術への不安もあったけど、あの日の笑顔が私の力になりました。
 この日を境に、推しに対してどきどきすることが無くなり、
 安心感を感じるようになりました。



『入院』
 おかげさまで特に不安もなく手術を受けました。
 非常に状態が悪く、片肺の穴を4ヶ所も縫ったらしいです。
 麻酔覚めた瞬間、体がサイボーグになってました。笑
 痛すぎてまともに呼吸もできない地獄で、2日間寝れませんでした。
 でも、ブログへのコメントは1日も欠かしたことなかったので
 手術した日の晩、気合で普段通りのコメントをしました。
 初めてアドレナリンが出た日だと思います。

 20日は追加メンオーディション。
 別現場に行こうとしていた○えぽんを必死に説得して行かせたのはいい思い出です。
 ピヨピヨがスタメンへ昇格しました。

 数日後、退院予定日が来ました。
 意気揚々と検査を受けに行ったところ、
 また肺が萎んでいました。
 なんか痛いとは思っていましたが(笑)
 ・・・笑い事ではありません。
 どん底に突き落とされた気分でした。
 なぜこんな目に・・・?
 生きる気力を失っていました。

 局所麻酔ですぐに手術。
 途中麻酔が切れても、そのままにしてました。
 この痛みを人生最後の痛みにしようと考えていたから・・・

 ご飯は一切口にしませんでした。
 生きる気力を失った人間に『欲』なんて必要がないから。 

 心配して急遽お見舞いに来てくれたじいちゃんばあちゃんの前では
 精一杯の作り笑い。
 一人になってから、涙が枯れるまで泣きました。

 忘れることはない3月22日の朝。
 朝が来ても私の心に朝日が差し込むことはありませんでした。
 深い深い闇の中。
 胸腔内に入れているドレーンによる強烈な痛み。
 死んだ方が楽。まさにこの言葉に尽きる。
 命を絶つ方法。それしか考えていませんでした。
 
 最期にと思い、携帯を開いたとき
 ひらきっぱなしにしていたTwitter...
 思わず涙が溢れました。
 それは、昨日とは違う涙。
 そのメッセージは、まさに光そのものでした。

 自分を支えてくれている家族・友人
 そんなことも忘れ、自分は不幸だと思い込んでいた。
 たくさんの人の笑顔が浮かび、自分はどんなに幸せなんだろう。
 そう気づかせてくれました。
 大切なもの。家族 友 笑顔
 あのとき、なぜ最後が関西弁だったのか...それは永遠の謎です。

 その後順調に回復し退院できました。

 退院後まもなく

4月1日
 山活初東京進出!
 防府で他のメンバーがイベントに出演している中、
 一部のメンバーはWALLOPという新しく始まる携帯アプリ番組の
 開局イベント生放送への出演がありました。
 もちろん私がとった行動は・・・
 在宅。生放送全力待機←
 体の不調を感じながらもパソコンのニコ生を見届け、一人涙していました。

 そのあとみんなはぐんまーに行ってGachiかなんかの撮影にいったんかな?
 

 次の次の日くらい
 まもなく呼吸ができなくなりました。
 早朝から緊急搬送!
 少しの振動でも激痛でした(笑)
 なんと炎症により胸腔内に水が溜まり、
 肺が潰れてましたおつかれさまです。

 またドレーンつっこんでしばらく入院。慣れたもんです。
 おかげさまで右半身傷だらけです。
 

 そんなこんなしてる間に外の世界では色々あったようです。
 「ハロマイ騒動」(笑)
 今やハロマイはすごい歌になりましたね。


 面会時間とっくに終わってる深夜にお見舞いに来るバカ2人がいましたね。
 こっそり病室を抜け出して、守衛さんに頼んで外に出してもらいました。
 病衣なんでめっちゃさむかったです。・・・ありがとう。


 3週間で退院できましたが、半年にわたる投薬生活をが始まりました。



4月29日
 寝太郎まつり
 久しぶりの山活
 衣装もすっかり新しくなってました。
 つらい時期を共に乗り越えていった思い出いっぱいの衣装です。

 りほたすと初めましてをした日でした。
 彼はどこへ行ってしまったのだろう...
 来なくなってからは、どこか心の一部が欠けた気分です。



5月5日
 維新公園
 黄色のもんスター 現る
 (※あまり触れません)

 メンバー内でも徐々に人気の差が大きく現れるようになりました。
 中には握手会中涙が見えることも・・・

 ゆりえとクリスに缶バッジを無理やり買わされそうになりました。
 怖かったです。。。



6月2日
 F氏の横に見慣れないやばそうな兄ちゃんが、、、
 そしたら声を掛けられてヤバいと思いました。
 いい人でした。
 玉Pとの出会いでした。


『夏』
 はろまいリリースイベント
 走りはじめました。 
 こんなにCD買ってどうするんだろう。
 ・・・そんなことはどうでもよかった。

 これまでは推しのことだけを考えてましたが、
 チームで戦わないと上に進めないと感じるようになり、
 半年経ってやっと他のメンバーと関わるようになりました。笑

 しだいに、ファンの中で
 少しずつ人気が出て遠い存在になっていくことへの葛藤が生まれ始めた、
 そんな時期でもありました。

 
 この時期は所用により行けないことが多かったです。
 でも7月7日のイベントの時、推しがかけてくれた言葉が励みになりました。
 いまでもその言葉をかけてくれることがありますが、実はとても嬉しかったりします。笑
 

  (番外編) 「七夕騒動」 
 ファンの中でひと騒動ありましたね(笑)
 長かった。今ではいい思い出(?)なのかな。


 あと、やーふるが禁忌「グループ内推し変」を犯しましたw
 ほっちきすに次ぐ2人目です←


 萩祭り、あのときのよっしーのなんだか悲しそうな目は忘れません。
 もしかして、、、
 その数日後、卒業が発表されました。
 馬関まつりにて卒業。
 ありがとう。
 周りは子供ばかりで、最年長として気苦労はあったと思います。
 みんな大きくなったよ!
 よっしーの一番印象に残っているところは、
 ももがスルメを食べてる時に大声でイカくさいと連呼してたところです(爆)←


 ご当地アイドル応援サイトGachiというサイトで人気投票企画があり
 たくさんのご当地アイドルの中から個人の順位を決めるというものがありました。
 バカなことをしましたw
 友と徹夜で投票しまくり、一晩でももが1位、もいんが2位という謎の状態に。w
 数日後、アカウントすべて消されてルールが厳しくなりましたwww


9月26日
 WALLOPにて7人の新体制へ。
 ギャルだったゆりえさんが改心し、純真なアイドルに←
 でも名前はそのままYulyというねw

 

9月30日
 しゅんぽんたすと共に大分へ
 さすがに山活ヲタは周りにいない。
 なぜかみんな沸くことが恥ずかしいと思う思春期に入ってました(笑)
 You are the one! の初披露だったかな。
 会場の中心でリアル一人でMIXを打ちました。二度とやりたくありません。笑



10月28日 『萌えサミット』
 山活ファンが急激に増えるきっかけのイベントになりました。
 いわゆる「もえさみ世代」
 山活のセカンドステージ突入でした。



11月25日
 広工大でRUN!!の披露
 はるのから滲みでる出すあのオーラ、ものすごく鳥肌がたちました。
 まさに大天使の出で立ちでした。

 その後、岡山へ移動しREDBOX
 防府で行ったもい生誕がお昼の外だったため、サイリウムここで焚きましたね(笑)
 この時期はまだメンバーカラーなかったけど、本人の希望で緑でしたねw

 

12月
~U.M.U AWARDへの出場~
 「RUN!!」
 この曲と走り抜けた1ヶ月でした。

 決勝に進むためには、着うたと、ニコ動・youtubeの再生数バトルがありました。
 再生しまくりましたねw
 しかし、いい話だけではありません。
 ニコ動は匿名で手軽にコメントが投稿ができるがゆえに色々書かれましたね。
 いろいろ頑張った気がします。笑

 ファンは今の何分の一かは分かりませんが、みんな毎日再生しまくりました。
 そしてみんなの健闘により決勝進出が決まりました。

WE ARE THE RUN!
 一周年ライブハウスにいっぱいのお客さん。
 150人くらい来たんでしたっけ。
 とにかくこの一年は必死で、がむしゃらで、全力で走ってきました。
 「RUN!!」
 この曲はみんなの当時の想いが込められた、まさに魂の歌だと思います。
 ライブを見て泣くなんて思ってもなかった。

 すぐあとに控えるUMUに向けてさらに感情は高まる一方でした。

U.M.U AWARD 2012 
 これまでで一番思い出に残っているイベントです。
 言葉では表せない熱い思い。
 共に戦ってきた日々。
 みんなが一つになり
 そして、みんなで泣きました。

 ちょるる事件もありましたねw



 誰にも負けたくない
 情熱的で負けず嫌い

 
 普通の女の子たちが、強く・たくましく成長していく
 そんな光景を見ることができた忘れられない一年となりました。


 

文字数多すぎることに気が付きました(笑)
切りが無いので2年目からはだいぶ飛ばしながら行こうと思います。



~2013年~
 
1月13日
 ツイッターではずっと知り合いだったつよぽんさん。
 ついに出会うことができた運命の日でした←
 そして意外なつながりが判明したのでした(笑)



2月16日
 ちょっと待てよ、、、
 イベントに行けそうな人があまりにもいなかったもので
 DDの代名詞 イケメンのこーじたんと2人で京都旅行へ!
 観光ほんと楽しかったー♪
 イベントの方は...案の定知ってる人全然いませんでした。
 あまりに山活組が居なかったので、来てくれていたけんまるさんと仲良くなった日でしたw




 私をオタクへ導き、共に走ってきた友が遠くへ。(※死んだ訳ではありません)
 やっぱり寂しかったです。
 しだいにオタクとしてのモチベーションが下がって行くこととなりました。 



5月4日
 おそらく、このイベントがYKGの未来を大きく変えるきっかけとなっただろう。
 CAZL岩国。あっちょんさんの出現であった。
 熱い気持ちを持った素敵な人。信頼できるアニキです。
 この人がいればあとは大丈夫だろうな思いました。
 



 ゆりーがマラソンへ出場。
 ファン数人が早朝から萩へ集まり応援へ!
 今年も素敵な思い出ができました。
 ありがとう、リーダー!

 

~2014年~

 あんまり記憶がありません(爆)
 
 気が付いたらWE ARE THE RUN3
 もはや行くかどうか迷ってたくらい消えかけてた人です←

 次の目標になってたメジャーデビュー。
 普通すぎて面白くないなって思ってたし、
 正直モチベーションが・・・て感じになってました(笑)

 でも、行って良かった。
 『NOTE』
 玉のPのせいで
 忘れかけていた日々、
 あの全力で走り抜けてきた毎日のことを思い出しました。
 
 そして推しの新たな目標が聞けました。
 やっぱり面白いことを言ってくれるなと思いました。
 今の状態を逆に強みにしてご当地アイドルで頂点を目指す!
 まさに自分の理想そのものでした。
 なんで3年間も同じ人を推してるのか分かった気がしました。



私たちが走ってきた3年間
 長いようであっという間でした。
 
 今は握手券や時間制限のルールもしっかりして
 メンバーみんなとも昔のように自由に話せない。

 話したいことも伝えたいこともたくさんあります。

 が、

 恥ずかしいので話しません。



 ただ、これだけは言っておきます。




4年目、そしてそれからも

これからも、一緒に走り抜けていこう!



WE ARE THE RUN!