7月23日 福井県勝山市谷地区へ行って 牛首道を歩いて見ました
少しの時間だけです、短い距離で散策程度です
「牛首道(うしくびみち)  現在、福井県勝山市と石川県白山市白峰(牛首村)の間には国道157号が通っていますが、少し前までは牛首道(大道谷往来)で結ばれていました。
牛首道は袋田町(勝山市沢町)の北端で勝山街道と分岐し、猿倉(勝山市長山町)、浄土寺、寺尾、暮見、栃神谷、中尾、北六呂師、河合、谷、五所ヶ原の各村々を通り、 急登を歩く爪先上がりの難路が続いてました。谷村付近には、今も難路を偲ばせる石畳の旧道が残っております。そして加越国境の谷峠を越えて大道谷(おおみつだに)を下り、白山山麓の牛首村(白峰村)へ続く約7里(28km)の道程でした。 この道を勝山では「牛首道」と呼び、牛首村では「大道谷往来」と呼んでいました。
勝山では牛首村(白峰村)へ向かう道だったからで、牛首村では谷峠へ向かう渓谷が大道谷と呼ばれたので、このように呼んだのでしょう。
また、牛首村の鎮守様は八坂神社で、祭神は牛頭大王(ごずだいおう)だそうです。この祭神の「牛頭」が、なぜか「牛首」と書かれ、それがいつしか村名になったようです」
という記事を読んで勝山市谷集落へ行きました、県道135号線を走り
谷地区中心部へ着きました、たぶん一番の繁華街でなかったかと思われる
ところです、県道135号線から見える伊良神社へ入るところに
コミュニティーバスが方向変換する広場があります、そこへ駐車して
伊良神社へ向かって歩いて行きました

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谷地区の文化財を記した看板が立っています,
昔から白山修験の通り路としての遺品や中世末期の一向一揆の歴史が
刻まれた遺跡、旧跡が記されています

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この神社は谷城跡でもあるとのこと、白山麓には一向一揆の最後の勢力が
残っていてその拠点が谷城であった、全国統一を目指していた織田信長は
全国統一をめざし抵抗勢力であった、一向一揆勢力を征伐せんものと越前国に入り
谷集落で戦を広げていたものとなっています

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谷城石碑から石畳階段を下りて行きます

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伊良神社から谷川の方へ石畳路を下って行き不動滝へ向かうと刀で石を突いたと
いわれのある穴の開いた石(怨み石)があります

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石畳を歩いて下って行きます

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まもなく不動滝へ着きました、滝からあふれるマイナスイオンで体がリフレッシュ
されます、手前には不動明王が祀られています、5分ほどの歩きです

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伊良神社へ戻り谷集会場の横を通り路地を歩いて行くと谷の石畳道の説明板があり昔は牛首村が勝山領であったことから交易があり人馬の往来が多かったとされて
いて急登な坂路には石畳が敷かれて往来の利便性を図ったということです

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説明板を過ぎて右に下って行くと護摩堂谷の沢に沿って右岸側に道が着けられていました

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石畳の道が続いています

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やがて護摩堂谷の沢を渡る橋があり渡って左岸側へ渡りました

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登り路ですが石畳が続いています

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やがて日当たりのいいところを歩きます、日当たりのいいところは草が延びていますが踏み跡がはっきり残っていて歩きも進みます

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登り坂を歩いて行くと林道にでました

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林道の脇に表示板の杭が立っていて杭の左側を登って林道と交差しました

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林道からの先へは石畳道がはっきりとしません、登ってきた石畳道の反対側に
草が生えていますが踏み跡らしき石の並んだルートが見えましたしばらく歩いて
見ましたがどうやら歩きにくい路となっていて今回はここまでということでしょう

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杭の下には石畳道と書かれた表示板が置かれていましたがどの方向か
わかりにくい位置です

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林道は先の方で分岐しています
林道の先はどこへ行くのか今はわかりません
この辺で戻ります、登ってきた石畳道を下ります

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今回歩いた石畳道の足跡ですが地理院地図では細い林道が記されていません
他の地図で記載あるかもしれません

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牛首村という言葉と牛首道という響きに興味を持って少しだけ歩いてみましたが
歴史がある路は歩いていてもロマンがあります