「終戦の日」の高市首相の式辞の欺瞞と「遥拝」

 

■高市色が濃く出た「戦争の惨禍を、二度と繰り返させない」

 予想通り、高市首相は、8月15日の全国戦没者追悼式の式辞で、先の戦争への「反省」や「教訓」、「不戦の誓い」には言及しなかった。代わりに、「戦争の惨禍を、二度と繰り返させない」「この決然たる誓いを、世代を超えて継承し、貫いてまいります」とした。

 

 首相就任前から、アジア侵略戦争を「自存自衛」と黒を白と言いかえ、一貫して戦争責任を認めなかった彼女の歴史観が色濃く反映している文言である、と思う。2013年以降の安倍元首相からは、「戦争の惨禍を、二度と繰り返さない」という文言を使ってきた。そこには、主体が抜けている。わざと曖昧にしたのだ。しかし、高市首相は、はっきりと主語を明らかに「他国」とわかるように表現している。日本軍国主義によるアジアへの侵略という犯罪を「戦争の惨禍」と本質を押し隠し、「戦争の惨禍」を引き起こしたのは、「他国」=「連合国」である、といっているのである。だから、「自存自衛」のための戦争などというのである。

 さらに、高市首相は、「これ以上謝らない日本」を標榜したこの安倍談話※を引き継いでいる、といえる。ゆえに、彼女の式辞には先の戦争への「反省」や「教訓」、「不戦の誓い」の言葉はないのである。

 

 ※安倍晋三元首相は、2015年の在任時に発表した「安倍談話」で、「歴代内閣の立場は今後も揺るぎないもの」だとする一方で、「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と述べた。

 

■8月14日、異例の「遥拝」をした高市首相

 毎日新聞(8/17付)は、「高市早苗首相は15日の全国戦没者追悼式の開会直前、会場である日本武道館(東京・北の丸公園)の駐車場で、隣接する靖国神社(九段北)の方向に向かって遥拝(ようはい)した」と報じている。しかし、「遥拝」という言葉を使いながら、それが持つ歴史的な意味を記してはいない。

 わたしは、「宮城遥拝」を想起した。「宮城遥拝」は、「皇居遥拝」とも呼ばれ、この行為は、臣民たる日本国民が天皇に対して示す忠誠心の一環であった。戦争の激化と共に、「宮城遥拝」は国民の戦意を高めるための手段として位置づけられ、これを拒否した教会・寺院や個人へ厳しい弾圧が行われた。「遥拝」とは、遠く離れた所から神仏などをはるかに拝むこと、として済まされてはならないのである。

 日本は、アジアにおいて、植民地の住民に対して、「宮城遥拝」=「皇居遥拝」を強いたのである。

 高市首相は、A級戦犯が合祀されている靖国神社に向かって「遥拝」と称する行為を行った。このことが、アジア諸国の人々にどのような屈辱を思い出させることか! 韓国外交部や中国外務省は、憤怒の抗議を行ったのは当然のことである。

            (🦉シマフクロウ 2026.08.17)