長崎「被爆体験者」訴訟判決の欺瞞

 

 79年前、長崎で米国が投下した水爆の被害に遭いながらも、国の引いた援護区域外に居たため、被爆者とは認定されない・「被爆体験者」44人(うち4人死亡)が原告となり、長崎県と長崎市に被爆者健康手帳の交付を求めた訴訟の判決が、9月9日長崎地裁であった。

 

「被爆体験者」とは? 

 1945年8月9日、米国が長崎市に投下した原爆の被害に遭ったにもかかわらず、日本政府が線引きした「被爆地域」の外で被害に遭ったため、被爆者と認定されなかった人たちのことを言う。そもそも原爆の被害者である人たちに対して、「体験者」などと国が名付けたのは、何とも恥知らずなことである。

 また、「被爆地域」の線引きは、放射性物質の降下範囲などの科学的調査によるものではなく、当時の行政区域を中心に決められたものにすぎない。国は原爆の影響を認める半径5キロメートルを基本に当時の長崎市を「被爆地域」に指定した。「被爆体験者」はその周辺、爆心地から12キロメートル圏内の被爆未指定地域にいた人たちのことで、原爆の影響はないとされてしまっている。

 2021年に確定した広島高裁判決では、被爆地域の外で「黒い雨」に含まれた放射性微粒子による内部被ばくの可能性を認めたものだった。判決を受け入れた国は、新たな基準を作り、遠くは爆心地から40キロまで「黒い雨」が降った地域にいた6000人以上を被爆者と認めた。しかし、それは、広島に限ったことだった。

 そして、今回の長崎地裁の判決においても、「黒い雨」など原爆由来の放射性降下物が降ったと認められる一部のエリアを除く場所に居た人たちは、「被爆者」として認められなかった。

 

被爆体験者」を分断する長崎地裁の認定

 長崎地裁は、旧古賀村・旧矢上村・旧戸石村で放射性物質を含む「黒い雨」が降った可能性があるとして、この地域に住んでいた原告15人については、被爆者援護法に基づく被爆者と認定した。

 しかし、残る29人の訴えに対しては、長崎市東部の多くの地域で観測された「灰」などは「放射性降下物質」とされず、原告のうち3分の2の29人の訴えは退かれた。17年も訴え続けているのに、なんとも悔しい限りだ。この原告を分断する判決は、許せない。

 今回の判決は、「黒い雨」を重視する一方で、「被爆体験者」たちが訴えてきた「灰」や「チリ」などの放射性降下物による被害を全く認めなかった。「原爆投下後に降った灰が放射性物質であったか否かは定かではなく、的確な証拠もない」としている。なんと呆れた判決なことか! 1945年8月9日・原爆投下後に降り注いだ「灰」や「チリ」は、どうして落ちてきたというのだろうか。まさか2016年に広島を訪問したオバマ元大統領をまねて、〝空から落ちてきた〝というように、ファンタジーのごとく米国の人類最悪の罪を自然現象のように言いくるめたいのだろうか。ふざけるな! 

 長崎の「被爆体験者」たちは、原爆投下後に放射性物質を含む「灰」が浮いた水を飲んだり、大気中の放射性降下物を吸い込んだり、食べるものがない中で「灰」が降った野菜などを食べたりしたとしてガンなどを発病しているが、「被爆者」と認定されることなく、救済の「対象外」とされているのである。

 「黒い雨と放射性降下物は実は同じなんですよ。上空で長崎乾燥してたので(ママ、※「長崎は乾燥していたので」?)、蒸発して放射性微粒子の状態で降ったというだけ」、と被爆体験者訴訟原告代理人の中鋪弁護士は主張しているが、全くその通りだと思う。

 

長崎の「被爆体験者」は、被爆者ではないのか!?

 長崎に原爆が投下されてから79年の2024年8月9日。毎年この日に行われている、被爆者団体から総理大臣への要望の席に、被爆者とは認められていない・国から「被爆体験者」と呼ばれている人たちが初めて出席した。

 その席で、岸田総理は、「政府として早急に課題を合理的に解決できるよう指示をいたします」と期待を持たせることを言っただけで、「被爆者と認める」とは言わなかった。

 総理のいう「合理的な解決」がどういうことなのかははっきりしないが、今回の長崎地裁の判決内容に示されている、とわたしは思う。

 

被爆80年を前に、被爆地域および被爆者の拡大を押さえ込みたい日本政府

 昨年のG7広島サミットで打ち出された「広島ビジョン」においては、核兵器の削減の継続を謳う一方で、米英仏が保有する核兵器については特別扱いし、「核兵器は、それが存在する限りにおいて、防衛目的のために役割を果たし、侵略を抑止し、戦争及び威圧を防止すべき」ものと核兵器を持ち続けることを正当化している。そして、被爆地「広島」の地名を冠した文書で正当化することは「核兵器は絶対悪」と訴えてきた被爆者や被爆地の思いを踏みにじるものだが、それが日本政府の進む道なのだ。

 そのようなG7の一員を担う米国の核の傘の下にいる日本政府にとって、被爆地域および被爆者が拡大してはまずいのである。

 長崎地裁判決は「黒い雨」を重視する一方で、「被爆体験者」たちが訴えてきた「灰」や「チリ」などの放射性降下物による被害を認めなかった。「原爆投下後に降った灰が放射性物質であったか否かは定かではなく、的確な証拠もない」としている。では、いったい何だったのか。

今回の長崎地裁の判決が「灰」による被爆を認めなかったのは、米国が設定した危険水域外で操業していた第五福竜丸が、水爆によって広範囲に放射能を帯びた「死の灰」が降り注ぎ被曝した問題の政治的な決着(※米国政府は、事件の翌年の1955年、200万ドルの見舞金を支払うことで、この問題の解決を迫り、日本政府はそれを受け入れた)でお茶を濁した日米の無責任で不誠実な対応にまで遡ることを阻止する必要を感じたからではないだろうか。

長崎では、米国による水爆投下により、この「死の灰」が多量に降り注がれ被爆した人たちが、いまだに被爆者と認定されずに苦しんでいる現実がある。

 米国を気遣う・日本政府の意向に忠実な長崎地裁は、できるだけ被爆被害を少なく見せたいのではないか、と思う。また、広島市の教育委員会は、日本政府の意向を汲んで、水爆実験の被爆被害の酷さを忘れさせたいがために、昨年のG7の直前に『ひろしま平和ノート』から「第五福竜丸」の記述を削除したのではないだろうか。

 岸田総理のいう「合理的な解決」とは、「被爆体験者」たちに対しての少しばかりの救済措置はとるが、安全保障上の日米関係に亀裂を呼び起こすような原爆の恐ろしさを想起させる事象は、平和教育や平和行政から消し去る、という「解決」方法ではないだろうか。故に、「原爆投下後に降った灰が放射性物質であったか否かは定かではなく、的確な証拠もない」などという長崎地裁判決が、まことしやかに出されてくるのである。

 つまり、日本政府は、米国による核兵器の被害を極力押し隠そうとしている、といえる。そして、原爆投下による被爆被害者が年々高齢化して亡くなっていくことを好機とし、核アレルギーを失くし、G7の一員として、〝核抑止力〝を安全保障の前面に押し出すことを狙っているのではないか、とわたしは思う。

             (🦉シマフクロウ 2024.09.11)