竹内まりやいなかったんだから / これ、力入ってんのよ。これで最後の一花咲かせたるぜって。 | 心のおもむくまま、時の流れるまま

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いろんな出会いがありますよね

4時過ぎに目が覚めて

さっきまで、ユーミンを、今は

山下達郎「ゲット・バック・イン・ラヴ」

 

 

山下達郎- ゲット・バック・イン・ラヴ

 

 

 

 

 

 

ドラマ「海岸物語 昔みたいに」(1988年)の
主題歌で使われていたんだね

 

 

ドラマの舞台となった鎌倉山のパン屋ボンジュールは話題になった。

江ノ島、江ノ電、湘南モノレール等、湘南海岸周辺の風情が

効果的に使われた。

また主人公 達也(奥田瑛二)の住居は

青山同潤会アパート(今の表参道ヒルズ)という設定だった

 

 

出演していた皆さんが若いな~

渡辺裕之さん、奥田瑛二さん、島田紳助さん

女性陣は、賀来千香子さん、山口美江さん

麻生祐未さん、その右手は久保京子さんだったかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この曲は 発表当時から好きだった

いま、この曲の背景を読んで

達郎さん自身もこの曲に

かなり思い入れのあることを知った

 

 

 

彼も30歳になり 

RCAビクターレコードを仲間16人と離れて

ムーンレーベルという会社を立ち上げた

(ほとんどインディーズに毛が生えたようなレーベルで

かなり規模がちっちゃい会社だった)

彼は、その会社の役員も兼務した

(ここまでは、知っていた)

 

 

 

達郎さんの言葉↓

 

その時が83年で、ぼくがちょうど30歳になった時だったの。

当時は、ロック、フォークと言わず、日本の音楽界で、

30を過ぎたら、ミュージシャンっていうのは、

もう落ちていくしかないっていう時代だったの。

もうシングルヒットでなくなったし。

お客さんも、もう30過ぎたらレコード買わなくなって、

演歌に段々移っていくっていう」

「30過ぎたらどうやってったらいいかっていう、

展望もヴィジョンも、全然未知数だった。

 

 

だけど、一応移籍してやんなきゃいけないわけでしょ。

僕が一応看板タレントなわけだ。まだ、竹内まりやいなかったんだから。

で、やってかなきゃならないんだけど、

僕、そんなにあと何年もできないと思ってたのよ。

 

 

 

そして「GET BACK IN LOVE」の制作意図について、

「けどね、『踊ろよ、フィッシュ』で終わるのは嫌だと思った。

これ、俺、不本意なんだもん。売れないんだって。

売れる売れないの問題だって。もうそろそろ限界だと思ってたの。

 

 

87年にね。もうダメだろうなって。世の中も変わってるしね。

それこそ、チューブが毎年夏だって言って、

お株奪われましたね、みたいなさ。

下手すると、さようならだけどさ。

だけど、僕の中での、プロデューサー山下達郎としての自分を見るあれではね

『君たちね、僕が失敗の原因じゃないんだよ』って。

同じ終わるんでも、違うので終わりたいんだよね。

 

 

 

『もう34の男が、こんな曲でヒットを出せると思ってるお前らがおかしい』って。

これから、山下達郎が、もし君たちが言ってるようなヒットが出せるとしたら、

バラードっきゃないんだって、もうそういう年回りだし、時代もそうなんだって。

だから、絶対バラードしかないんだから、バラードでダメだったら、

ダメだって言ってよって。

だから、バラードやりたい、バラードやりたいってずっと言ってたら、

『ゲット・バック・イン・ラヴ』の仕事持って来た。

 

 

 

これ、力入ってんのよ。これで最後の一花咲かせたるぜって。

これでベスト10まで入るとは思わなかったけどね。嬉しかった。」