中根仁(横浜現役/外野手/Aランク)
成長タイプ:普通/遅め
カープファンの心の支えであり、小さい頃は誰もがその投球フォームを真似して、この人のことを悪く言う人は見たことがない(コーチ時代を除く)レジェンド 大野豊。
1998年に行われた、大野投手の引退試合。
ファンは号泣し、野村正田といった同僚は泣きながら守り、対戦相手である横浜の選手までもベンチで涙しているなか、初球に146キロのストレートを投げる大野投手。
お約束の三振なんて大野投手に失礼だと、全力で迎え撃つ最後の対戦相手。
あっという間にツーストライクに追い込み、最後の1球は142キロのストレート。
空振り三振。
我が選んだ道に悔いはなし。
さようなら、大野豊・・・
というわけで今回紹介するのは、大野投手の最後の対戦相手 中根仁 選手です。
一般的にはマシンガン打線における6番レフトwith佐伯貴弘として有名ですね。
余談ですが、ベンチで涙していた相手選手は、佐伯選手です。私の記憶が確かならば・・・
2000年に5番打者として残した打率.325 11本塁打 61打点という成績が輝いていますが、守備にも定評があり、横浜ベイスターズの強かったころを語るときには欠かせない名選手でした。
大野投手の引退試合があんなに感動的だったのも、中根選手が全力で挑んだからこそ。
カープファンは、中根選手に感謝したものです。
というわけでカープファンである私も思い入れがある中根選手は、旧世紀48年、ドラフトで入団します。
3年目に全試合出場し、打率.272 16本塁打で新人王を獲得。
そのあとは5~7番で安定的に打率.290 25本塁打 90打点くらいの成績を残す、不動のレギュラーとして活躍します。
ちなみに同じ時期、なんと大野投手も不動のエースとして在籍していました。
大野が投げ、中根が守る。
まさかこの2人がチームメイトになるとは、やきゅつくは事実よりも奇なりとはよく言ったものです。
安定した成績を残す中根選手ですが、現実の2000年のように爆発的な活躍をすることも忘れません。
9年目には広澤選手(ヤクルトなど)、石井浩郎選手(近鉄など)の後を打つ5番バッターとして、なんと141打点を挙げます。
タイトルは広澤選手に譲りましたが、例年であれば打点王クラスの活躍です。
11年目には初の打率.300、12年目には初の30本塁打を達成。
13年目以降、打撃に衰えは見せますが、持ち前の守備でレギュラーの座は簡単には渡しません。
年をとってもなお、若手にとっての高い壁で居続ける。
それはまるで大野投手のよう。
そして旧世紀63年に大野投手の引退を、レフトで泣きながら見届けると、その翌年、中根選手も引退しました。
主役になる機会は少なかったですが、安定感のある活躍に、引退する相手に見せる敬意。
プロ野球界に最優秀助演男優賞があるとすれば、受賞者は間違いなくこの人でしょう。
改めて引退試合の動画を見ると、最後の中根選手の空振り、けっこうわざと・・・いやいやそれを含めての最優秀助演というやつです。
~中根仁~
<通算成績>
実働16年 レギュラー13年
1899試合 6857打数 1941安打
.283 275本塁打 1237打点 103盗塁
新人王
<キャリアハイ>
140試合 545打数 160安打
.294 27本塁打 141打点 4盗塁
<年度別成績>