私は観戦したチケットを記念に残していますが、初めてこの球場で観戦してから30年以上たち、あらためてチケットを見るといろんな思い出が蘇ってきます。


まずは、2年間と短かったオリックスブレーブス時代とブルーウェーブ元年のチケットです。



(左)西宮球場と同じデザイン

(右)シンプルなデザイン


続いてブルーウェーブの仰木監督時代。イチロー選手が活躍し活気があった時代です。阪神淡路大震災後、まさかこんなに早く試合が開催されるとは思いませんでした。



(左)結構最近までタダ券が配られてました

(右)背景にネッピーが出てきます。震災の年の初のホーム開幕戦

1996年は圧倒的な強さでパリーグ連覇し、日本シリーズでもジャイアンツを破り日本一になりました。



(左)優勝決定試合のチケット。こんなマンガみたいな試合あるんやと思いました。

(右)日本シリーズ第3戦。まさかこの後、長い長い暗黒時代に入るとは。


イチロー選手を企画したチケットも出されました。



(右)選手カード風のチケットで、いろんな選手のパターンあり

(左)首位打者記念?

その他にもいろんな企画チケットがありました。



(左)夏季限定のチケット

(右)センターデッキ用の回数券

2004年には、大阪近鉄バファローズのネーミングライツの問題を発端に、球界を巻き込む大騒動に発展しました。最終的にオリックスブルーウェーブと大阪近鉄バファローズが合併することになりました。



(左)yahoo! BBスタジアム時代のチケット

(右)ブルーウェーブ最終試合。奇しくも相手は大阪近鉄バファローズ。



ブルーウェーブ最終試合のスコア


試合終了後の記念写真


合併・一リーグ化騒動の副産物で「交流戦」が始まりました。バファローズの初戦の相手は中日ドラゴンズでした。


当時は「人気のセ、実力のパ」と言われていました。交流戦は不人気のパリーグを人気のセリーグの集客力で盛り上げようとの考えで始まりました。


しかし、パリーグの努力やメディアの多様化などもあって、パリーグの人気が高まり、今や「人気も実力もパ」になったと思います。


初の交流戦のチケット


勝利後のスコアとヒーローインタビュー(先発で好投したパーラ投手)


平成以降、親会社が代わった球団はいくつかありますが、合併を経験した球団はありません。この合併が成功したのかどうかはわかりませんが、二つのチームのいい選手ばかり集めてもチームは強くならないということだけが明らかになりました。


チームを製品とするならば、それぞれのパーツは素晴らしくても、他のパーツとの相性や全体のバランスが悪ければ、必ずしも最高の製品とはならないのと同じことだと思います。


この難しい合併球団の舵取りをしたのが仰木監督です。体調がすぐれないにもかかわらず、CS争いをしたのはさすがです。ブルーウェーブと切っても切れない名監督です。


球場内には仰木監督の功績を讃えるレリーフがあります。


この球場といえば花火ナイターが有名です。


(左)花火ナイターチケット

(右)やっぱり野球観戦は屋外に限ります


2021年にバファローズは25年ぶりにリーグ優勝し、日本シリーズに進出しました。このシーズンはオリンピック期間中の中断により日程が後倒しになり、京セラドームが早くから決まっていたイベントのため使えなかったため、第6・7戦がまさかのほっともっとフィールド神戸での開催へ!この球場でもう一度シリーズを見ることができるとは、夢にも思いませんでした。


日本シリーズは時期が遅く(11月下旬)すごく寒かったのと、スワローズの胴上げを見ることになったことが残念でしたが、久しぶりの日本シリーズは感動しました。




(左)ほっともっとフィールド神戸のチケット

(右)日本シリーズの電子チケット






この寒さで半袖だったスワローズのオスナ選手にはびっくりしました。


数々の名試合の会場となった球場ですが、シートのペンキが剥がれていたり、グラウンド内のフェンスなどが薄緑に色あせるなど老朽化が進んでいます。


元々は青色のシートの上にダークグリーンの塗料を塗っていますが、はげて下の色が見えてきています。


神戸市は球場の改修資金をクラウドファンド

で募集、目標6000万円のところ17200万円集まってました(HPで確認)。目標の3倍近くも集まるとはこの球場で試合を見たいファンの皆さんが多い証拠ですね。


資金は、観戦環境の改善(座席の交換)や利用環境の改善(ダグアウトやブルペンなどの改修)に使われるようです。


ぜひ、この日本一美しい球場で、いつまで試合を続けてほしいと思います。                           (終わり)