▪️所在地:兵庫県神戸市須磨区緑台

▪️完工:昭和63年(1988年)6月

▪️収容人員: 35,000人(内野27,000人・外野8,000人)

▪️中堅:122m  両翼:99.1m

▪️観戦試合:1989.10.7vsオリオンズほか150試合


かつてのオリックスブルーウェーブのフランチャイズ球場、オリックスバファローズの準フランチャイズです。イチロー氏お気に入りの球場で、ユ◯ケ◯のTVCMにも登場します。私も最も好きな球場です。


1985年のユニバーシアード神戸大会の会場として開発された神戸総合運動公園にあります。山を切り拓いて作った球場で周囲は緑豊かです。緑台という地名からもわかります。


神戸市は、かつて「株式会社神戸市」といわれ、開拓のため山を削った土砂を海に運び、埋め立てる「一粒で二度美味しい」土地開発をしていました。「山、海へ行く」という標語があり、かつては神戸市西区から須磨区名谷を通って須磨海岸まで長いベルトコンベアで土砂を海に運んでいました。


(左)1975年はまだ山でした。

(右)左下の海釣り公園と右の須磨浦漁港の間に伸びているのがベルトコンベア。


通称の「グリーンスタジアム神戸」の印象が強いですが、正式には「神戸総合運動公園野球場」といいます。球場外壁には「神戸球場」という文字が取り付けられていました。



オリックスブレーブス時代は、スーパー「ダイエー」の拠点が神戸だった縁もあってか、ダイエーホークス戦がほとんどこの球場で行われていたことがありました。


1991年には、神戸の市民団体や企業の誘致活動もあり、西宮スタジアムからこの球場に移転し、球団名も公募によりブルーウェーブとなりました。


1994年に就任した仰木監督が抜擢したイチロー選手がシーズン200本安打達成の大活躍、1995年は阪神淡路大震災に見舞われながらもパリーグ制覇、1996年は日本一となり、チームは絶頂期を迎えます。


しかし日本一という目標を達成し、燃え尽きたのか、長い暗黒時代に突入していくことになります。


成績が右肩下がりになる中、球団は2000年、他球団に先駆けボールパーク構想を打ち出します。内野は天然芝・赤土とし、本拠地初のフィールドシートが設置され、メジャー仕様の球場になりました。柿落としとなったオープン戦では、雨が降る中、何とか5回まで試合を続けた記憶があります。


チケット入れにも案内がありました。


内野には天然芝が張られました。




フィールドシート




フィールドシートで、ホークスのズレータ選手がファンにサインをしています。




フィールドシートは臨場感抜群です。打席は清原選手。


この球場は、何といってもデーゲームが似合います。日本のプロ野球のフランチャイズ、特にパリーグは半数がドーム球場で、野球が室内スポーツ化していますが、本来、野球は屋外でするものだと思います。両翼際の打球もはっきり見えるのもこの球場の良いところです。



スコアボードの仕様は2015年から変更されました。ビジョンの大型化とは反対に、スコアボード部分は小さくなり、個人的には見にくくなったと思います。


旧のスコアボードのデザイン


現在のスコアボードのデザイン

緑色基調のデザイン


ホーム側のスコアボードも変わりました。


かつてのバックネット裏のスコアボード


現在のバックネット裏のスコアボード


センターバックスクリーンで炎が吹き上がる、ホームランイリュージョンという仕掛けもありました。内野席でもわずかに炎の熱さを感じたような気がします。




今や地方球場でも取り入れられている、ネーミングライツも12球団で、いち早く採用しました。



ヤフーBBスタジアム




スカイマークスタジアム



ほっともっとフィールド神戸


球場上部にあるサロンの外には、優勝ペナントやイチロー氏の200本安打達成時のスパイクが飾られていました。





球場外壁にはウォールオブフェイムという、阪急時代からの名選手を紹介するコーナーがあります。合併球団ならではの過去のファンを蔑ろにしない姿勢が見て取れます。




このような素晴らしい球場での試合数が、年々減っているのが残念です。


(その2へ続く)