我慢していることが多すぎると、

自ずと自分を諦めるのが上手になる。




諦めてる自覚すらなく

それが自分の中で普通になる。




我慢と忍耐は違う。

我慢と待つことも違う。

同じように感じてたけど本当は全然違った。。

出発点の根っこが…

我慢は恐怖心や不安や疑念や怖さ。

劣等感や罪悪感。

そんないろんな“支配”からの出発点。





我慢ばかりを選んできた。

それが“普通”だった。




それは…

それが愛だと。

思いやりだと。

優しさだと感じていたから。

信じていたから。



そしてそれが…

自分や周りを守り幸せにする、

唯一のことだと思ってきた。

だからどんな時もどんなことも…

我慢してきた。






それが正しいと思っていたから。






だけどそうじゃなかった。







いろんなものが崩れていく日々。

壊れていく日々。







でも。

だからこそ…わかってくること。

見えてくるものがたくさんある。







我慢の先にある…深い思い。

そして止まらない感情。その怖さ。

それを知ったからこそ…

ちゃんと抱きしめたくもなった。

ほっておくとどうなるのかが…

分かったから。








そして…

どんな出来事も…“深い傷”にもなる。

衝撃は永遠に残ってしまうかのように感じる。





【憎しみを捨て愛を取れ】

って言葉はよく耳にしていたけど…




それは当たり前のこと。

できることだとずっと思ってた。




でも“憎しみ”とまではいかなくても、

ずっと心に残って許せなかったり。

ずっとその言葉が繰り返されたり。

思い出して嫌な気持ちになったり。

思い出しては悲しくなったり…

思い出してまた落ち込んで、

苦しくなって痛くなる。

やっぱり…と、湧き起こってくる感情。





どんなに取り繕っても。

忘れたくて忘れたふりをしても、

その出来事を心が思い出して…

“握りしめて”繰り返してしまう。





“憎しみ”とまではいかなくても、

なかなか手放せない“出来事”

繰り返し思い出す“出来事”




油汚れのようになかなか落ちない。

しつこい汚れみたいに…




言葉として分かっていても、

行動に起こすことは…

実際には本当に難しいんだと知った。





だからこそ【憎しみを捨て愛を取れ】

この言葉は…

遠い大それたかけ離れた出来事ではなく、

小さな日常の中にもある。




そして揺れる心をほっておくと、

流れてしまうからこそ…

真理があって“言葉”たちがある。





どんな出来事も…

【憎しみを捨てて愛を取る】

傷ではなく“感謝”にして残したい。






本当の愛。

本当の優しさ。

そしてその尊さを…

ちゃんと届けられる人に、

今はできていなくても…

一歩一歩成長していきたい。






そして“我慢”ではなく。

待つことを選べるように。







心はフッといつもの自分を選びそうになるけど、

一つ一つに幸せな選択は?とスイッチ🔛しながら、

今日はとても優しい1日やった。

だからきっと明日もいい日になるクローバー










それはみんながいるから。

そしてどんな時も、

ちゃんと分かってくれてる人はいる。









この同じ空の下で…








みんながいる。










ゆうみ。