大人ってなんだろう。
年齢とかじゃなくて…
“感謝できる心”
なのかな。
そこにあるもの全てに、
誰かの“手”と“想い”と“時間”が、
あることに気が付ける心。
なのかな。
水道からお水が当たり前のように、
毎日流れるのも…
そこに誰かの“手”と“想い”と“時間”があって、
当たり前に届いてる。
毎日が止まることなく便利なのも、
そこに誰かの“手”と“想い”と“時間”があって、
当たり前に動いてる。
人は一人では生きていけない。
自分の毎日は…
誰かの“手”と“想い”と“時間”に支えられてる。
そうやって考えると感謝が深まる毎日。
だけど…
【当たり前】すぎる存在。
一番近い一番そばにいる…
いつもそこにある。
普通にある。
そんな毎日の“当たり前”は…
家族の“手”と“想い”と“時間”もまたある。
そこに一番“感謝”が薄れる。
一番近くで一番そばで支えてくれてる、
だから見えにくくて…
当たり前に流してしまう。
そして一番甘えてしまう。
いろんなことを後回しにする。
でも。。
大人になるって…
そんな自分の“当たり前”に、
感謝できる心を持つことなのかもしれない。
そしたら自ずと変わる…
言葉遣いや行動。
そして毎日のありかた。
一番大切で一番大事な人だからこそ、
気を配り心を察し、
愛や優しさや思いやりをもって、
接するべきなのかもしれない。
一番大切で大事なのに。。
“家族なんだから”と、
なんでも言っていいわけでもない。
“家族なんだから”と、
なんでもブツけていいわけでもない。
“家族なんだから”と、
甘えるすぎるのは…
心が子供のまま…
“子供”なのかもしれない。
大切な人だからこそ。
“感謝できる心”
それが“大人”なのかもしれない。
ゆうみ