少し冷え込んだ釧路地方の朝です。

釧路応援ファンド 「北海道 塩いくら・塩すじこ ファンド」の2次募集の応募は、残すところわずかとなりました。3次募集はありませんので、ぜひお急ぎください。

 

今日は塩いくら・塩すじこのテクニシャン(職人)のお話を・・・。

日本人がアラスカにわたり主に塩すじこを作るようになってから、すでに50年以上が経過しています。サケマス漁がさまざまな規制で減少し、職を失った乗組員が、鮭の買い付けとともに塩すじこを製造するために海を渡ったのが最初といわれています。その当時の先駆者で草分け的水産会社が釧路にあったのです。その会社では多くのテクニシャンを採用し、アラスカへ送りだしていたといわれています。現在釧路の魚卵の製造メーカーの社長さんは、この会社の出身者が多くいらっしゃいます。

 

テクニシャンの出身地は乙部町や鹿部町など道南出身者が多く、主に出稼ぎで生計を立てる方々です。「船に乗るのも、海外出るのも、家を空けるのは同じなので・・・。」とあるテクニシャンは話してくれたことがあります。

 

テクニシャンの多くは年間雇用ではなく、季節雇用が普通です。サケのシーズンは限られているので、それが終わるとまた次の仕事に就き、またシーズンが来たらアラスカへ渡るといった感じです。うまく仕事がつながれば、アラスカ(紅鮭)⇒秋鮭(北海道)⇒北欧(トラウト)といった具合に、5月~1月くらいまで仕事がつながりますが、多くの方は他の土木建築の出稼ぎや、家業の漁師や養殖業などを合わせて年間の生計をたてています。

 

ちなみに月のお給料は経験等で差はありますが45万~60万くらいで、嗜好品以外の食事代や現地での生活費等、経費はほぼ雇い主側の負担です。とても好条件に聞こえますが、年間仕事が安定していないのが一番大変だといいます。

 

 

 

 

 

 

 

2003年の写真です。北欧の小さな島ですが、ここで11月上旬から翌1月中旬までの2か月半を2年間過ごしました。3名のテクニシャン仲間との同居生活でした。

 

住居の裏には湖が広がり、とてもきれいな空気と、景色が今でも思い出されます。

 

 

つづく・・・。