97歳の祖母の事(2014/4/24) | 屋久島! 農で起業する!

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これは2011年9月の時の写真だが、
この頃は元気で、耳も聞こえていて、
時々家族と一緒に彼方此方のランチに行ったりしていた。



それが3年前には突然の様に耳も聞こえなくなり、
一昨年には玄関で転んで腰を骨折し、
屋久島徳洲会病院に入院したものの手術が出来ず、
大事(おおごと)で高速船と救急車で鹿児島に渡って、
その結果、鹿児島市内の病院を時間を掛けて散々2回も転院して、
結局、高齢故に手術に耐えられない身体と総合的に判断されて、
逆戻りで屋久島徳洲会病院に入院してから久しい。

最初の内は食欲も旺盛だったが、
段々と食も細り、ついには口から何も摂らなくなってきた。

その為に、
胃に穴を開けて食べ物を流し込む
アップ『胃婁(いろう)』アップの手術を得て、
身体を持ち直している。

顔色は良くなり少し太って来た様だが、
骨折の為に寝たきりで一日中眠っている。

今年一杯持つかどうかの状態で、
私達は週に何回か洗濯物を取りに屋久島徳洲会病院に通っている。

結構、我儘な人生を送ってきたお人で、
その為にお袋は大分苦労して来た様だ。

4年前から同居していたが、
トイレの回数が非常に多く、
昼夜関わらず10分おきにトイレに行くのだ。

夜中でも大音響で杖を突き乍ら歩き回り、
ドアの開閉音も大きく、
トイレットペーパーも必要以上に使用するので、
紙の補充が追い付かず、
何より徘徊する音で、
お袋は不眠症の様になっていた。

既に耳も遠くなっていた為に、
手を洗っても水栓を閉める事なく、
出しっ放しと言う事が良くあった。

倉庫を片付ける時に、
祖母の荷物が多く、カバンなどは何百も有るのだ。
それも1度使用してからお蔵入りの様になっているカバンが、
幾つも出てくるので吃驚仰天。

他に、着物や反物、靴もどんどん多量に出てくるので、
ある程度は処分したのだが、まだまだ多くの荷物が倉庫に眠っている。