日本語では「多様性」と訳されて、組織やグループなどで多様な人材を登用し、声を取り入たり、それぞれが持つ違った能力をいかすことで、組織の競争力を高めようとする取り組みを指すということのようです。最近よく聞く言葉ですが、本末転倒という印象です。


価値観を一つにまとめる方が大変な作業で、放っておいたら、てんでバラバラになるのが必然と考えます。一昔前なら、テレビが横並び一線で、同じプロパガンダを流していれば、その影響力の大きさから簡単に洗脳できる時代がありました。ただ、すでに一人ひとりがスマホを持ち、ネット上の膨大な情報を取捨選択できるようになると、カリスマが現れたとしても、違う考えのカリスマも簡単に現れてしまい、画一的な方向へ導くことはもう不可能になってしまったと感じます。それが分断という言葉にも言い換えられているという印象を持ちます。


放って置いても、多様性はどんどん進んで行き、企業等はそれら社員や市場のニーズをどう纏め上げて行くか、管理職の負担が増した現象を表した言葉という方が正しいように感じます。ノミニケーション等も無駄な時間の使い方と考えられるようになり、部下の考えを洗脳し、修整するのも職場内に限定される傾向ですから、益々負担は増すでしょう。


カリスマ的影響力を持っていたテレビが悪戦苦闘している様子からもそれが伺い知れます。24時間テレビはずっと見ていませんが、必死に盛り上げても乗せられていないのを肌で感じます。その盛り上げている様が逆に醜く見えてしまうようにも見えます。そう考えるのは私だけでしょうか?そうじゃないという雰囲気をここ最近は感じるような気がしています。



 

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