ギャラリー百水では展示されている作品をより深く知っていただくため、間近で制作行為を見ているスタッフによる解説文をお配りしています。

藤村誠の作品には、もちろん何も情報がない状態で鑑賞しても迫ってくる強度があります。

しかし、制作風景を知ることは新たな視点からの鑑賞を可能にします。

作品を様々な角度から観ることによって、藤村誠という他者の持つ世界を少しでも覗くことができるかもしれません。

 

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藤村誠の絵画作品でまず目を引くのは鮮やかな色使いですが、最も重要な要素は色が塗られる前に描かれる精密な画面構成にあると言えるのではないでしょうか。鉛筆を使ってしっかりと細部まで対象を写し取っていく、時間をかけた丁寧なドローイング。モノクロ写真の色の濃淡を縁取りしながら作られるブロックの集合体が、誠さんの作品の骨格となります。全体の構成が完成した後、色を塗るのにあまり時間はかけません。グラデーションやタッチは考慮されず、線で区切られたブロックの中を力強く選んだ色で塗りつぶしていきます。


 

 

 

描かれる対象はいつも人の顔です。様々な表情の顔が印刷された紙は、誠さんの思う順番でクリアファイルの中に収められ、工房で保管されています。画用紙の上に表現されるものは彼の感性によって受け取られた世界であり、彼の内部でうごめいている感情の表れでもあります。

 

 

たとえば誠さんの作品をよく観察してみると、自画像的な要素が含まれていることに気がつきます。そのひとつが、特に初期の作品の指の関節や耳の付近に配置される赤い色です。髭を剃ったときの傷によって自身の顔にできた赤いかさぶたが、無意識的なのか意識的なのか作品の中に投影されています。

 

 

『アラン・ドロン』

 

 

制作風景を眺めている人は誰も作品がどのように完成するのか予測することができません。どの色を選択するか、どの色を隣同士に配置するかは彼の世界の捉え方を反映したもので、その日の調子によって決まるからです。

 

よく眺めてみると、これらの肖像画にはいつも鑑賞者の予測を裏切るようなポイントが挿入されている事に気づきます。一部だけ歪められた現実、現実に即していない色使いや思わぬところで出会う鮮やかな一点。このような特徴は美術史の文脈に当てはめてみると、一見1911年にはじまったドイツの前衛芸術運動である青騎士(※1)の作品に似ているようにも思われますが、そのはっきりとした縁取りや色使いはフランスの絵画運動、野獣派(フォーヴィズム)(※2)に近いものがあります。そして彼が用いるポスカマジックの色彩は作品をポップな印象に仕上げています。



 

 『泣く女』

 

アール・ブリュットやアウトサイダーアートと呼ばれる作品で表現される形や色彩は作家が持っている独自の感情や気分の波、不安がそのまま表現されたものであり、それらの思いは見ている人にダイレクトに迫ってきます。その特徴は、時に歴史上の著名な芸術家の作品と同じような、奇跡的とも言える高い芸術的な伝達性を持ち得ることがあります。誠さんの作品の普遍性はまさに情動を表現、伝達する力にあると言えるのではないでしょうか。

 

言葉数少ない誠さんのほとんど唯一の自己表現である絵画作品に描かれている人物や色彩は、凄まじいエネルギーを持って鑑賞者に迫ってきます。

 

 『ジャン=ミシェル・バスキア』

 

 

 

 

( ※1 )

20世紀初頭のミュンヘンを中心としたW・カンディンスキーやF・マルクらによるドイツ表現主義の芸術運動、またはその名称を冠した年刊誌。

 

 

( ※2

20世紀初頭のフランスの絵画運動で、絵画における純粋な色彩の高揚を目指した。色彩がもつ表現力を重視し、絵画の再現的、写実的役割に従属するものとしてではなく、感覚に直接的に働きかける表現手段として色彩を用いた。

 

 

 

 

文章:屋久の郷アートディレクター マルティーノ・カッパーイ

翻訳・編集:屋久の郷アートディレクター 長本かな海