ギャラリー 百水では5月13日から初の個展、村本こずえの『とくながひであきとチェッカーズと』が開催されています。

 

四方八方すべての壁がこずえさんの作品で埋め尽くされた今回の展示では、作家の創作活動をより深く理解するための解説文をお配りしています。

同じモチーフを繰り返し描く彼女の制作活動からは何が見えてくるのでしょうか。

 

 

 

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執拗なまでに繰り返し描かれる人と文字。何百枚にもなる村本こずえさんの「とくながひであきとチェッカーズと」シリーズは、全て彼女の内側から湧き出る衝動(オブセッション※1)によって描かれたものです。展示してほしい、売りたい、評価されたい、といった多くの人が持っている下心は一切なく、純粋な喜びから生み出される表現。ニコニコと微笑みながら集中して制作を続ける姿や、1日に何度も発せられる「絵を描きたいです!」という言葉からは、彼女にとってこの制作行為がどれほど重要な意味を持っているのかがわかります。概念的なことや、美術界のシステム、商業的な名声とはなんの関係もない、このような自発的な表現への喜びは、全ての人がこども時代に感じるものと同じなのではないでしょうか。村本こずえさんの表現欲求は、こどもを表現へと向かわせる「遊びたい!」「デコレーションしたい!」という純粋な衝動から生まれています。

 

 


 描かれるのは彼女が愛してやまない歌手の徳永英明とバンド、ザ・チェッカーズ。しかしその形状はすでに現実に即したものではなく、こずえさんの内側に存在する完全なシンボルと化しています。毎回、紙面の左上部から力一杯書かれる「とくながひであきとチェッカーズと…」から始まる彼女の制作活動ですが、その後に描かれるのは「とくながひであき」と「チェッカーズ」だけとは限りません。頻繁に登場する「ワンズ」や「T ぼらん」、「とよかわえつし」、「たにはらしょうすけ」、その他毎日顔を合わせる屋久の郷のメンバーや、印象に残った知人、大好きな施設長の義山さん(絵の下に書かれる名前やメガネの有無で判別可能)も彼女の内なる神殿を構成する重要な要素として、熟考されることなく次々と描かれていきます(※2)。そして、それら全ての要素のシンボルとしての地位を獲得したのが、「とくながひであき」と「チェッカーズ」なのです。つまり、彼らはこずえさんの内側で自発的に創造される個人的な世界の代表者であると言えます。
 

 シンプルに様式化され、いつも笑顔を絶やさないシンボルたちは画面を埋め尽くします。ここで考えてみたいのは、どうしてシンボル(象徴)が誕生するのかという問題です。シンボルは人間が偶像(アイドル)や内から沸き出る力を具体的な形にしたい、と思った時に誕生します。偶像が人間の精神にとってどれほど重要かは、人々が太古の昔から世界中で無数の偶像を洞窟壁画として描いてきたことからもわかるでしょう。

 

 


 

 

 こずえさんが繰り返し描いてきた、実物からはかけ離れ、本質のみとなったアイドルたちは彼女の無意識から溢れ出てきた精霊として紙の上に漂います。ひとつひとつの精霊が何者なのかは、絵の周りに所狭しと書かれた彼女の願望に紛れている個人名によってのみ判別できます。そして、絵だけではなく文章も構成要素となっているこれらの作品は、彼女の願望を具体化し、見ている人に伝える伝達機能も持ちあわせています。様式化された絵と文章で隅々まで埋め尽くされた、「空間恐怖 horror vacui(※3)的な表現は、見ている人をギョッとさせる何かを持っています。

 

 

 

 

 これらの作品の芸術的な価値は、描かれたもの自体というよりも、こずえさんを作品制作へと向かわせる力そのものにあると言えるのではないでしょうか。この純粋な力こそが毎朝こずえさんを喜びに満ちた制作活動に向かわせる源なのです。一見全て同じように見える絵ですが、彼女個人の内的世界を唯一象徴する存在である人ひとりひとり、作品一枚一枚には確固たる尊厳があります。私たち鑑賞者がこれらの絵を前にしてするべき事は、目の前にあるのが独自の規則性と宇宙観を持った「もうひとつの世界」であることを理解することでしょう。

 


 

(※1)「妄想、脅迫観念」の意味。古くは悪魔や悪霊による「憑依」の意味ももつが、現代では「時に不合理とわかっていながらある考えや感情がしつこく浮かんできたり、不安なほど気掛かりになること」という精神医学・心理学的な精神の乱れを指す。「オブセッション」が芸術のタームとなったのは近現代、特にプリミティヴィズム以降の西欧美術において精神病者の作品(アウトサイダー・アート)が注目を集めたことによる。(中略)これに対し、現代美術における「オブセッション」ないし「オブセッショナルなもの」は、昇華され、洗練された形で作品化される作家の内なる創造の源泉とみなされる。「オブセッション・アート」などと括られている場合には、前者の例か、草間彌生のようにオブセッショナルな表現が特に顕著な現代美術を指す例が考えられる。

 

 3)空間が音やイメージで満たされることを求めること。

 

 

出典:三本松倫代(2009)「オブセッション」, https://artscape.jp/dictionary/modern/1198256_1637.html〉(参照2019-5-10

 

(※2) この制作行為はオートマティスム「理性によって行使されるどんな統制もなく、美学上ないし道徳上のどんな気づかいからもはなれた思考の書き取り(アンドレ・ブルトン,シュルレアリスム宣言,1924)」であるとも言える。

 

 

オートマティスムについてや、村本こずえさんの作品への理解を深めたい方はH.プリンツホルンの『精神病者は何を創造したのか アウトサイダーアート/アール・ブリュットの原点』(1922)をお読みください。

 

 

 

 

文章: 屋久の郷アートディレクター マルティーノ・カッパーイ

翻訳・編集: 屋久の郷アートディレクター 長本かな海

 

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個展開催中の毎週木曜日13時からの1時間は、作家本人によるライブペインティングが行われています。

村本こずえの制作風景を生でご覧になりたい方はぜひギャラリー 百水にお越しください。

また、ライブペインティングの様子はインスタグラムでも公開しています。

 

第1回目の様子↓

 

 

 

 

 

 

 

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