こんにちは、訪問ありがとうございます

 

私は苦行の2年目の浪人生活へ突入です。

 

この時も、

Z会の京大の添削

月刊誌の大学への数学以外は、

特に高校生の時に使っていたものを使って勉強してました。

 

驚いたことに2浪もしていると、

しばらくやってなくて、

高3生の時は出来た問題の中に

忘れてできなくなっている問題が

あることに気づきました。

 

センター試験対策のみでしかやらない漢文なんて、

1年も経つと

ほとんど何も覚えてないし、、、

 

そこで、うすうす気付きました。

ああ、私には京大医学部は無理だなと。

 

それは、

○毎年、新しい天才児たちが高3になって現れてくる。

○知識は積み重ねることが出来るが、同時に時間と共に忘れていく。

○自分はそこそこ頭が良いが、世の中にはもっと賢い奴がたくさんいる。

 

これらは、何年かけても埋まらないなと思ったんです。

 

C判定であれば、あと何年も繰り返せば

受かったかもしれません。

 

ダメそうでも

一度、目指した道はなかなか引き返せませんし、

 

高校時代も、京大志望とか言って

イキっていたため、

挫折して他大学へ進学とか格好悪いし、

 

かと言って浪人生活は苦行でしかないし。

 

ニートみたいなもんで家に引きこもってたまに、

模試などで

都会へ行って、

吉野家の牛丼を昼休みに食べることくらしか

楽しいことは思い出せません。

 

並盛りつゆだくと卵

が好きだったんですよね。

(今でも好き)

 

相変わらず、京大医学部はA判定やB判定に届かず、

かと言ってE判定でもない

微妙なC判定を繰り返したり、

時にD判定になったり、

 

やれそうでやれない位置なんですよ。

だからと言って絶望的なわけでもない。

 

中途半端な、生殺しっていう感じかな。

 

社長の息子は

大金持ちの裕福な家庭で将来も約束された奴だから

余裕があって、

慶應文学部英文科通いながら、

菅野がもう一年やるなら、

仮面浪人して、東大もう一回受けてみるわ

 

なんて言って、勉強を続けていて

交流が続きました。

 

そこで、彼が佐渡島におばあちゃん家があって、

静かな所だから、

夏休みにそこに遊びに行って一緒に勉強しない?

 

なんて言ってきました。

 

私の母の実家は新潟県長岡市の寺泊で漁師しているのですが、

青春18きっぷで普通列車で成田から向かいました。

 

社長の息子は大金持ちですが、

こういうのも悪くないねって感じで付き合ってくれました。

 

私の母の生家で1泊して寺泊から佐渡島にカーフェリーで行って、

夏休みの間、そこで過ごすことになりました。

 

最寄りから、そのおばあちゃん家までも

メチャクチャ遠くて歩いて2時間。バスもなく超田舎です。

コンビニもなく、欲しいものがあったら、

最寄りの店まで

歩いて1時間かけていかないといけません。

おばあちゃんは、車を運転できないし、自転車ないし、

知り合いいないしで、

メチャクチャ不便なんです。

 

寺泊では、家にあるボートを漕いで魚釣りしたり、

佐渡島では海に行ったら、イカが泳いでいたりする綺麗な海で、

綺麗な海で泳いだり。

 

ボートから素潜りすればサザエ取れますしね。

 

この1ヶ月はめちゃくちゃ楽しかったです。

 

勉強しないで海行ったり、色々してましたけど。

 

でも、あまりの楽しい日々でしたが、

私、浪人生(2年目)だから、

こんな所でいつまでも遊んでいるわけいはいかず、

彼だけ置いて、カーフェリー、青春18きっぷで成田市の家に戻りました。

12時間とかかかったんじゃないかな。

行きは2人だったけど、帰り1人だからね。

余計に長く感じました。

 

2浪目の12月

父親が再び脳卒中を起こしました。

今度は優位脳の左脳の脳出血です。

 

出血によるダメージだったのか、

右も左も脳出血したためか、

 

父は寝たきりで声も出せず、ご飯も、トイレも1人ではできない

俗にいう、植物状態になりました。

 

心臓は自発的に動き、呼吸も出来るから

生きています

栄養は、胃ろうから流し込みます。

 

まずは数ヶ月入院になったんですが、

 

私は、京大医学部なんて、

夢見ている場合ではなくなりました。

 

京大医学部から、

自宅から通える

千葉大学医学部へランクを下げて

といっても千葉大学も十分に難しいのですけれど、

もうこれ以上浪人なんて言ってられないので、

滑り止めにC日程の薬学部を受験することにしました。

 

結果、まあ急に京大から千葉大に変えても、

センター試験比率が違かったり、

入試問題の傾向が全く違うから

京大一直線の私には偏差値が多少低い大学にしても

だめでした。

 

C日程の薬学部は、当然合格となり、

寝たきりで病床に臥せる父がいながら、

3浪してまで頑張るという気力は失っていました。

 

で、薬学部へ通うこととなります。

 

社長の息子

慶應文学部→仮面浪人して、東大不合格

 

2浪していた友達、

駿台予備校と関係のの駿河台大学へ

→この人、結局途中で退学しただけでなく、

社長の息子の力をかりて、

事業を始めて、社長の会社から2000万円借りて

返さないどころか、

売上のお金を使い込んで、

借金を返さずに

どっか雲隠れしちゃったんだよね。

 

社長の息子ととても仲が良い人だったけど、

あいつ

2000万返さずに

とんずらしちゃったよ〜

と、嘆いていました。

 

それでも、たいして怒っていない社長(の息子)は

やはり、大金持ちの息子って感じです。

(器が違いますよ〜ビックリマーク)

 

社長(の息子)たまに、

私も知っているような芸能人を忘年会なんかに呼んで、

写真撮ったものを私にLINEで送信してくるからね。

 

生まれながらにして成功者というのは、

貧乏人の私とは、人生の余裕度が圧倒的に違って、

おおらかで良い奴ですよ。

 

今後、あと、1〜2回かな〜。

 

ここでおしまいだと、

経歴詐称になるので

 

もう少し続きます。

 

次回は大学生編です。