こんにちは、訪問ありがとうございます

 

人間って不思議ですね。

 

楽しかった思い出は、書いているうちに

自然と思い出されてくるのですが、

 

高3の後半くらいから、

浪人生の時期の記憶って

辛かったので、あまり思い出されてこないです。

 

地獄の浪人生活や〜あせる

 

浪人生活は、

左半身の不全麻痺となった父がいて、

姉は、中国からの留学を終えて、父の世話をしたり、

母は小さい焼き鳥居酒屋を切り盛りし

兄は、父の知り合いの所で働くために家を出ていき、

 

私は、宅浪となりました。

浪人生仲間として、

特進落ちの喫煙仲間の男子3人と

その友人の社長の息子

 

※社長の息子は

今は、「社長」で、

家庭教師にかつて、毎月200万円かけていた

人です。

受け継いだ資産は30億円くらい

年収は8000万円といってました。

 

 

特に社長の息子とは仲良くなりました。

 

社長の息子の父は

運送会社を都内で営み東大卒

社長の長男はどこかへ失踪し、

次男である息子が後継になる予定で、

大学へ行って勉強しなさいって

いうことです。

 

社長の息子の志望は東大で、

駿台予備校(お茶の水)に通っていました。

 

他の3人も結構遠い中、駿台予備校(お茶の水)まで通っていました。

千葉の、津田沼にもあるんですけど、

そこならば、通うのに、30分とかからないはずが、

1時間以上?かけて

お茶の水へ4人で通っていたそうです。

 

一方、私は、予備校に通いたいと思っていましたが、

自分の家庭環境を考えると、

そんなことを言い出せませんでした。

 

まあたまに、模試などで、

わざわざお茶の水まで行って受けて少し遊んだりくらいで

基本は宅浪で、

高3の時にやっていた問題集に加えて、

月間誌のの大学への数学と

毎月くるZ会の通信添削が新たにするくらいでした。

 

何をどう過ごしていたのか、

私は浪人生時代、1日6時間くらいしか勉強できませんでした。

 

漫画読んだり、何してたのかね?

8時間寝たって、あと、10時間はあるけどビックリマーク

 

家でダラダラと過ごすより、

 

予備校に行って、自宅で数時間勉強とかの方が

私には良かったのかな?と思います。

 

模試を受けると

京大医学部C判定

慶應医学部B判定といった具合で、

現役当時と変わらず、

センター試験対策は浪人して時間があったけれど、

結局それほど変化せず、

 

なんか、1年経過しても、成績があまり変わり映えしませんでした。

 

で、結局、1浪目も不合格となります。

 

私立大は受けていません。

そんなお金ないからね。

 

京大受験する時だって、

ユースホステル使ってましたからね。

 

やっぱり、教育はお金がかかる。

 

誰も教えてくれる人がおらず、1人で

家で参考書と問題集を読んで解くだけって苦行みたいなもんだからね。

 

浪人時代はとにかく、いい思い出がありません。

父親も半身麻痺になって仕事できないし。

 

せめて友達と予備校行っていれば、

頭の良い友達や教師に聞いて

サッと理解できたかもね。

 

1浪目の結果

予備校の友人

①社長の息子 東大は不合格でしたが、

慶應文学部合格

→現在は社長

②明治学院大に合格

→8年行って卒業できずに退学し

今はパチンコ屋の店長

③青山学院大学に合格

→公務員へ

④1人は2浪目に突入

 

→そんなに成績が上がることなく不合格

 

私の浪人生活は2浪目で終わることとなりますが、

2浪目はさらなる苦難が私たち家族に襲いかかります。

 

2浪目で、合格したのは医学部ではありません。

 

え!!経歴詐称なの?

 

次回へ続きます。