こんにちは、訪問ありがとうございます

 

まず、偏差値63程度の普通科進学クラスを

偏差値がそれよりさがる普通科と

比べた時です。

 

私の数学の偏差値は65以上はあったため、

普通科進学クラスでも

数学の授業が、遅くて簡単でした。

英語も自分で勉強すれば良いし、

進学クラスの方が若干マシな授業すると言っても

はっきり言って、

普通科でも進学クラスでも大差ないんですよ。

 

しかも、無駄に宿題が多いから

私はかえって普通科へ行った後の方が、

宿題も減って伸び伸びと勉強できました。

 

はっきり言って、授業中は内職の時間で

数学なら数学の問題集など解いてました。

 

進学クラスの欠点

○授業が多い

○宿題が多い

○なんかわからないけど、クラスの雰囲気が悪い

(ギスギスしていて、楽しい雰囲気がない)

 

進学クラスの良いところ

○授業中は静か

○悪い奴がほぼいない、真面目な人が多い

○大学受験を目標にやる気がある

 

普通科の欠点

○授業中、話す奴が多い

○私みたいな?!タバコ吸うとか原付乗るとか

ちょっと、素行の悪い奴がいる

○大学受験しない人もいるし、やる気がない人もいる。

 

普通科の利点

○内職しても、怒られない。(私だけかも?!)

○授業中などもふざけてるムードメーカーみたいな人がいて

仲良い雰囲気

○宿題も少ない

○定期テストの問題が簡単で点数を取りやすい

○ダントツで私が勉強できるから、

女子が質問などしによってくる。

※つまらない授業を聞いているより、

内職していた方が勉強になりました。

 

長くなりましたが、ようやく本題です。

 

成田市の新居では、

溶接業の父親の仕事も順調で(バブル期の影響?)

兄も父の手伝いの溶接業

母は焼き鳥屋もしておらず、のんびり暮らしていました。

姉は、中国へ留学している時期だったかな。

 

その一家の大黒柱の父親が私が高2の時に

脳卒中をおこしました。

右利きの人は多くは優位半球は左脳で、左脳に言語野があります。

 

私の父は、右半球に脳出血を起こしたため、

左半身の軽い麻痺はあったものの

失語症などにはなりませんでした。

 

しかし、麻痺の影響で仕事ができなくなりました。

 

父の仕事を手伝っていた兄も仕事がなくなり、

私の一家に仕事する人がいなくなりました。

 

(兄はのちの父の知り合いのところで働くようになります)

 

市川市の家を売ったことで資金があったので、

そのため、近くに土地を買って母が焼き鳥居酒屋をすることになりました。

 

流石に、私も家の家庭環境を考えると

のほほんと高校生活を暮らしているわけにはいかず、

しっかり勉強しようと思うようになりました。

 

そしたら、偏差値はどんどん上がり、

英数化学で70以上

物理、国語が少し苦手で65

くらいになって行きました。

 

それ以後、特にイベントはなく、

貧乏になったのかな?

なんて内心思いながら、

予備校に行きたいとかは言い出せず、

自宅で大学への数学シリーズや有名どころの問題集を買ってきて

家や学校で解くようになりました。

 

高3になると、

偏差値は3〜5くらい下がりました。

たぶん浪人生が入ってきただと思います。

高3生と浪人生の戦いに突入です。

 

私は、父のこともあり、医学部に行きたいなという思うようになり、

また、なぜだか、京都という街に強い憧れがあり

京都大学を目指すようになりました。

 

Z会の京都大学対策の通信添削

微積分の極意(東京出版)

新数学演習(東京出版)

などなどをやっていました。

数学に時間がかかって、高3の時に数学ばかり解いていたのです。

物理も間に合わんかも!?

社会が苦手でセンター社会が間に合わん?

(独学で倫理政経をまなんだ)

センターの古文、漢文が苦手で全然わからん

 

まあでも、

駿台全国模試でも

京大医学部C判定

慶應医学部B判定

 

と、手が届きそうな感じになってきましたが

でも、結局、現役時代は不合格となりました笑い泣き

 

次回は、どうして当時、現役合格が出来なかったのかを

考えてみます。