こんにちは、訪問ありがとうございます

 

とんでもない悪友、太郎くんを中2でゲットした私。

 

ただの悪友ではなく、エリートお坊ちゃんで剣道部部長であった彼。

 

世の中には面白い人材がたくさんいますね。

 

30年以上前のことをこうして思い出してみると

我ながら、よく覚えているなと思います。

 

しかし、私自身、楽しい中学生であったけれど、

自分の子供が私みたいな中学生活を送るのは、

勘弁してもらいたいです。

 

私は、自分がしでかしたことで、

見つかって怒られたり、親を泣かしたり、

こういうことをしてはいけないんだなと、

たくさん学びました。

 

親の教育って大事だよね?!

焼き鳥屋の息子を、完全に放置すると大変な悪ガキになってしまうと

いうことです。

 

そういう親って、低学歴で、低収入なんですよ。

で、完全放置。

 

完全に放置したとしても

周りに悪ガキがいなかったら

悪事を1人でしていたとは思えないけど。

 

友達も親と同じくらい大切だよね。

 

普通に、夕方帰ってきて、

親が家にいて宿題はしたの?

 

遊びに行く時はどこに行くの?

 

遅く帰ってきたら、こんな時間になるまで何してたの?

 

なんていう家庭なら

私みたいな中学生にはならなかったでしょう。

 

いつも通り、前置きが長く、

ようやく本題です。

 

中2の秋に、

高校受験のために、勉強したいから

塾へ行きたいというと、

私の親は行きたいなら行けばいいよと言ってくれます。

 

時はバブル真っ最中で、

父の溶接業の仕事もたくさんあり

景気が良かったのが幸いしました。

 

ついに勉強をしてみることになります。

 

太郎くんと週に2回塾に通うことになり、

塾の後に、フラフラと自転車で徘徊することもありました。

 

ある日、塾帰りに、少し自転車でウロウロしながらタバコを吸っていると、

警察官に声をかけられました。

 

太郎くんの逃げ足はとんでもなく、早く、

私が声かけられた瞬間に逃げて、

遠くへ逃げ去ってしまいました。

 

明らかに20歳未満でタバコを吸っている私は、

最寄りの派出所まで連れて行かれて、

名前、住所を聞かれ、ついでに指紋も取られました。

 

これで、補導歴がついてしまいましたあせる

 

一緒にいた友達の名前を言えっていうのですけど、

それは、絶対に言えない

と、いつまでも固く拒んでいたら、

中学生を22時過ぎていつまでも押し問答していても

らちがあかないと思ったのでしょうか、

 

夜間にフラフラ歩き回ってあんまり親を心配させたらダメだぞ

 

って解放してくれました。

親などを呼び出しまでされなかったのですが、

親に心配をかけたら行けないな、と

反省もしました。

 

 

翌日、太郎くんは大丈夫だった?

など心配してました。

 

「俺のことをチクった?」

って聞いてこなかった太郎くんは、

信用がおける男だなと思いました。

 

そんな風で、その後も変わらず塾に通いました。

 

私は中3の時に、

市川市に住んでいた一軒家が、ちょうどバブルで高く売れ

田舎に広めの家を買っても

住んでいた家を売ってお釣りが来るみたいで、

引っ越すことになりました。

 

そういう訳で、高校1年時に成田市に引っ越すことが確定しました。

 

市川市になかでも、浦安市とすぐ隣で

東京都の県境が近かったんだよね。

(南行徳〜新井のあたりに住んでいました。)

 

 

 

この事件のあたりですね。

 

とんでもなく悪ガキが集まる高校とか近くにあったから、、、

 

それが

成田市に引っ越すということで

私の高校受験の選択肢はかなり狭くなりました。

 

高校入試としては、

私立と公立は普通が別日ですが

公立高校と同じ日にある

成田山新勝寺が運営する

成田高校 現在の偏差値66程度

を第一志望として、

それより少し離れた私立高校を滑り止めとしました。

 

理由は簡単、成田で1番偏差値が高い高校だからです。

 

ここで、驚くでなかれ、

願書の提出、書けるところは自分で書いて

親が書くべきところだけは書いてもらって

あとは自分で提出という、

完全放置の家であったため、

 

第一志望の成田高校の願書を、

私、ボケボケしていたら提出期限を過ぎてしまったんです。

 

中学校の担任が、

菅野、成田高校の願書昨日までだったけど、

提出したか?

って聞いてきたんですけど、

え、昨日まででしたか?

提出してませんと言ったら、

クラスの友人に笑われたんだよね〜

 

今でも覚えているわ。

 

どういう訳か、私がショックを受けたにも関わらず、

クラスは爆笑してたんだよね〜ショボーン

 

忘れた私が悪いけど、

何で前日や前々日に

○日までだけど提出したか?

 

って聞いてくれれば防げたので、

どうせ聞くなら、

事後ではなく、事前だよね。

って思います。

 

滑り止めが

 

当時としては珍しい

宗教上の理由?(ミッション系だから)

土曜日休みで、

女子率が異常に高く、男子が2〜3割だったんじゃないかな

願書を出す時か、もらいに行く時か

そこの数人の男子高校生が

うちは週休2日で女ばっかだから、

高校生活たのしーぞ〜

なんて中学生の私達に声掛けてきたから、

 

私、マジで!?

超いいじゃん!?

 

って楽しそうだな

思っていたんです。

 

だから、あっそ、じゃあ滑り止めの

楽しそうな高校がいいじゃんと思ったんです。

 

なんか、

お寺に成田山新勝寺が運営する高校って、

お坊さんってイメージがどうかな〜

と思っていたので。

 

そんなわけで私は滑り止めの偏差値(63)の

高校へ進学します。

(ランクが第一志望より落ちて、

何の苦労もなく、思い出もない高校受験でした)

 

入学後に

入試では数学が受けた中で1番だったと言われました。

 

太郎くんはスポーツ推薦で、結局楽勝で?

東海大学浦安高校に進学します。

 

高校受験は、初めは英語が不得意だったけれど

当時は英単語集とかなくて、

問題を解いて覚えた感じですね。

 

太郎くんが私より成績悪くて、

でも、東海大学浦安高校に行きたかったみたいだから、

一緒に勉強したりして、

特に思い出は第一志望の願書を提出し忘れた

以外はありません。

 

で、次からは高校編です。