こんにちは、訪問ありがとうございますx

頭の良い子が育ちやすく、

親の経済格差は、子供の学力に影響し、

ひいては、子供の経済格差につながる

 

そう、

貧困の連鎖ですね。

私がどう、貧困の連鎖から脱出したか、

まで書くかどうかわかりませんが、

最終的に医学部にいった私の子供時代についてです。

 

私は、

父:(中卒)溶接業で、私が高校生の時に脳卒中で寝たきり

父は高校行かずに神戸から東京へでてきて

おでんの屋台など引いていた時期もあったそうです。

母:(中卒)自宅で焼き鳥屋を営む

母の実家は新潟県の寺泊で、両親は漁師です。

高校行かずに東京へ出てきて、居酒屋などで

働いていたそうです。

姉(9歳上):公立高校→短大→一旦、就職して→中国へ留学

→寝たきりの父の面倒をみる

姉はまあまあ良い公立高校へ進学してますし、

中国にいったり、広東語や英語も話せます。

兄:(8歳上)溶接の専門学校か?工業高校→父の溶接の手伝い

→父が寝たきりとなり→知り合いの工場に就職

兄は、不良でしたが、

バイクで事故って死にかけて入院して以来、

不良はやめたみたいです。

猫:つねに1〜2匹猫を飼っていました。

犬:ミニチュアピンシャーという犬を飼っていました。

 

父は働いていた時は、裕福ではなかったけど、

貧困ってほどではなかったといもいます。

 

そして、私。

 

小学校時代は、

田んぼや池で遊んだり、近くの駄菓子屋に入り浸ったり、

高学年になるとゲームセンターに行ったり、

家では、宿題さえせず、学校へ遊びに行っているような

感じでした。

 

江戸川乱歩少年探偵シリーズ

ファーブル昆虫記

シートン動物記

などは学校の図書館にあるものを全巻読んだりしてました。

 

家だと、カラオケ歌っている声が聞こえたりしてうるさいし、

姉、兄、父は仕事やバイトでいないから

隣で働く母は扉1枚挟めばいるんだけど、

私が何してようが、わかってないので、

 

江戸川の河川敷で焚き火して焼き芋焼いたり、

好き勝手に遊んでばかりいました。

 

勉強なんてしないし、塾も行かないし、

中学受験なんて全く考えていなかったけれど、

 

学校の授業なんて聞いていればできるというか、

先生の話聞いていると遅いから、

勝手に教科書を読み進めて、

自分で勝手に終わらせちゃう。

算数なんかはそうでしたね。

 

国語も聞いているのだるいから、

どんどん読み進めて漢字を覚えたり、

図書館で借りた本を机において読んでたり、

自由人です。

 

学校の授業なんてめちゃくちゃつまらないから、

聞くだけ無駄と思っていたり、

小学4〜5年生くらいで、

自分の方が、担任より賢いんじゃね?

 

なんて思ったりもしてました。

 

江戸川で夜釣り(といっても20時くらいまで)

田んぼや池でザリガニ釣り、網でガサガサしてなにか捕まえる

駄菓子屋で駄菓子食べて、ゲームする

ゲームセンターでメダルゲームする

資金がなくなれば、親の財布から少しもらってしまう。

公園で遊ぶ。

父親と二人暮らしの友達と

デパートに行って試食コーナーでつまみ食いする。

 

喫煙する友達がいて、そうすると

たまーに喫煙をし始めたのが小学5年生くらいかな、、、

 

なんか、いつも外で遊んでいた記憶がありますね。

 

昭和の悪ガキと言った感じです。

 

そんな風で、家庭で勉強しなくても、

授業は、教えられなくても理解できた。

暇だったことから、本も比較的読んだ。

 

家庭用ゲームやテレビばかりしていることはなかった。

 

この辺が、次男くんとは違いますね。

 

算数は、勝手に読み進めて出来た。

本をたくさん読んで、語彙力や漢字力を自然と身につけた。

動物が好きで、理科も興味があって自然と覚えた。

 

✖️社会が嫌いで全く興味なかったら、社会が全然出来なかった。

 

というのが、私の小学時代です。

 

 

小学生の時は、医者になる要素がゼロですね、、、

 

印象的なことを1つ挙げれば、

3軒隣くらいに5歳くらい上の美人、優しいお姉さんが住んでいたんです。

 

そのお姉さんが、

骨肉腫になって、

片足を切断し、ある日から車椅子生活になっていました。

そこから、半年もせずにそのお姉さんのお葬式に参列することとなり、

すごく悲しかった思いがありますね。

あんなに、若くて優しいお姉さんが、、、

って、ですね。