こんにちは、訪問ありがとうございます。
私は医師という職業に誇りを持っています。
私が、医師として、
いや、医師を志そうとし、倫理を、学び始めた高校生より
好きな言葉があります。
20年以上も前のことで
誰の言葉か正確には覚えていないので、
キリストの教えと、
孔子の仁がごっちゃになっているのか
「愛する家族に治療するように、
他人にも治療しなさい」
というような事を学んで、こころに残っているんですよね。
Googleで検索しても引っかかってこないのですが、
私の理想とする医療の原点となっています。
家族が病気になったら、
一生懸命調べて、最善の治療をしたいと思います。
これは、孔子の言葉ですが、
孔子の弟子が
「一生守っておけば間違いないことは何ですか?」
と孔子に問いかけたところ
孔子の答え
「其れ恕(じょ)か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ」。
それは、思いやりだろう。
自分がして欲しくない事は、
他人にしてはならない。
孔子が言っているように、
他人に対して、
思いやりの心が大切だと思います。
わたし、こう見えて、
私が医師として業務をする時は、
ほとんど怒りの感情は封印されますし、
めんどくさいとか、
時間がかかるなとか、いう感情も封印されます。
家ではうざい自分の子たちも
クリニックでは、子供は可愛いとか、
可愛い子供が熱出たら心配だよねとか
お母さん、大変ですねとか
思えてきます。
自宅や、家族に対しての方が、
口が悪かったり、怒ったり、態度悪い
です。間違いなく。
医師として必要なのは、
「思いやり」
「向学心」
次点として
「記憶力」
ではないでしょうか?
病気の人に対して、
○優しく接してあげたい
○つらさをとって、なおしてあげたい
○つらさに対して、共感してわかり合いたい
というのが、本来の医療のあり方だと思います。
そして、この3点は特に難しいことではありません。
しかしながら、
医師をする以上は、
「治してあげたい」とは思っているのでしょうけど、
優しく接することが出来ない医師
患者さんや家族を思いやりがなくて、共感してくれない
医師はたくさんいます。
前回シリーズのポウ先生は「治してあげたい」
という気持ちすらあるように見えませんでした。
らだ、私ごとですが、
あまり患者さんに共感していると、
自分も辛くなります。
私の父が、
私が浪人しているときに、脳出血で寝たきりになりまして、
目は開いていますが、完全に意思疎通ができない状態になりました。
痛い時も痛い顔すらしなかったので、
言葉も全くなく、感情もないようでした。
私は、父がいろいろ遊んでくれて、父のことが大好きでしたから
当初は、脳外科を希望していたんですよね。
しかし、一度死んでしまった、神経細胞は、ほとんど再生しないため、
脳出血起こして、緊急手術して生命が助かっても
麻痺が残ったり、
言語障害がでたり、
意思疎通ができなくなったりすると
なかなか元通りに治すことは難しいし、
脳神経外科の研修中に、悲しむ家族を見ていたら、
自分と重なりつらくなって、何とかしてあげたくても
出来ない無力感を感じてしまい、脳神経外科はやめました。
そして、
私の浪人時代に一緒に医学部を目指して勉強した親友が、
こどもが好きで、小児科医になりたいと言ってまして、
研修医1年の時に、この世でもっとも好きな長男くんが生まれて、
小児科医になって、この子の主治医に私がなる
と思って、小児科医になりました。
こどもって、可愛いしね。
医師は生死に向き合います。
救急医療では、自宅で心肺停止で運ばれてきて、
蘇生の現場になることもまれではありません。
3歳児が、自宅で朝起きたら、
呼吸してないとつれてきた時の
家族も哀しみときたら、
見ているこっちも辛くなりますし、
何とかしてあげたくても、
止まった心臓は再び動き出す気とは少ないです。
感情移入を家族にしすぎると
いつまで蘇生をするとか、
自分がないていては仕事になりません。
しかしながら、
もうダメな時、
要望通り出来ない時、
現代の医療では治せない時、
もう希望がない状況の時、
などもあり、感情移入してばかりでなく
時には優しいことばかりいってられないのも
医師の仕事です。
でも、私は患者さんに優しく、
患者さんに思いやりをもって、
自分が正しいと思う医療をしてあげたいと
思っていますし、
そういう考えの自分自身を好きで、
自分に自信が持てっています。
これからも、そうであり続けたいです。