8月はスポーツの,大きな大会がたくさんありましたね。
オリンピック,パラリンピック,インターハイ,全中,高校野球などなど。
競技を終えたあとのインタビューで,「どうして,そういうことを言うんだろう」という場面が少なからずありました。
それは,自分が目指した目標に届かなかった,
期待された成績を残せなかった,
そういうときの選手の発言です。
「自分の努力が足りませんでした」
「自分の弱さが出てしまいました」
一昨日の,パラリンピックで入賞した選手も,そのようなことを言っていました。
でも,その選手は,決勝で自己ベストを出したんです。
それでも「自分の努力が足りなかった」と言うわけです。
十分努力したから,自己ベストを出すことができたはずです。
「自分の努力が足りなかった」という選手の気持ちもわからないわけではありません。
でも,失礼な言い方ですが,自己ベストを出しても負けたということは,相手の方が速かった,強かったということです。
どうして,そういう言葉が出てこないのでしょう?
言葉を発することができない,圧力があるのでしょうか?
高校野球でも,敗戦チームのキャプテンが,こんなことを言います。
「自分たちの弱さが出てしまいました」
試合展開にもよりますが,
相手が強かったことではなく,自分たちに原因があって負けたと言ってしまう,これはなぜでしょう?
負けたという結果を受け入れるための対処方法,
あるいは,結果の原因を,自分たちのせいにしてしまうことで許しを求める,
そういう感覚があるのではないか?
一方,オリンピック混合ダブルス(早田ひな・張本智和ペア)の初戦。
北朝鮮ペアに敗北。
このときの早田選手のコメントです。
「でも,オリンピックだから負けたというよりは,普通に試合をしていても負けていたんじゃないかなという感じだった。そういう部分では,戦術を変えられないところが敗因の一つかなと」
正直に,北朝鮮ペアの実力が上だと認めています。
「メダルまでもう一歩でしたね」
「自分の努力が足りなかったせいだと思います」
このやり取りから,こんな場面を連想してしまいました。
「あなたは,なぜ不幸の状態にあるのでしょう?」
「それは,あなたの信心が足りないからです」