私,オリンピックに興味はありますが,あまりに騒がしくて,ちょっと距離をおいています。
TVを見るときは,音声を消しています。
さて,私は中学校で理科を教えていましたが,「ワクワクする理科授業」は,まあ,頑張ればできます。
私がやりたかったのは,
「ワクワクする道徳!」
皆さん,道徳の授業の思い出はありますか?
たぶん,ないと思います。
道徳の授業,そのものを受けた記憶がないかもしれません
それぐらい,道徳は軽んじられてきました。
今では,教科扱いになったので,必ず授業をしなければなりません。
※道徳の教科化は先生にとって,負担増の1つです。
教科扱いになっても,道徳に力を入れる先生は少ないと思います。
でも,私は道徳を,
最も面白い授業,
生徒が心待ちにする授業,
にしたいと20代のころから思っていました。
なぜなら,道徳は,
人生を考えること
自分を見つめること
いろいろな価値を知ること
ひとことで言えば「哲学」だからです。
道徳の題材は,日常にあふれています。
小説やエッセーにも,容易に見つけることができます。
私は,そういうものから自分で教材を作ったこともありました。
例えば
◎特定の生徒が,いつも掃除をサボる,これをどう考えるか。
◎宮沢賢治は,なぜ泥棒を許し,金品をあげたのか?
◎顔じゃないよ心だよ,は本当か?
さて,オリンピックに話を戻します。
道徳の題材になりそうなものが,たくさんありそうです。
オリンピックにかける思い
続けてきた努力
選手を支えてきたスタッフのこと
試合後の選手のコメント
そして,勝者と敗者の態度
今回のオリンピックで,大きく取り上げられていました。
悔しさをからだ全体で表した敗者
ガッツポーズも笑顔をも見せなかった勝者。その後,この選手は金メダル。
ここで,私がすすめたいことは,見ている大人と子どもの対話です。
どんな場面でも良いし,オリンピックでなくてもかまいません。
複数の人間がいれば,意見も複数出ると思います。
とにかく,考えてみること,そして相手の意見を聞くことが大切です。
アナウンサーの言葉,解説者の言葉,それらを土台にすると取りかかりやすいでしょう。
「お父さんの意見は,今は通用しない」,これだっていいんです。
道徳の授業では,「価値の衝突」という要素があります。
Aさんはこう思うが,Bさんは逆だ,そういうことです。
そうやって,自分にはない価値感を知ったり,認めたりする,これが心を鍛えていきます。
相手と自分の考えが異なっていても,決してバッサリ切ってはいけない。
どこかに着地点を見つける努力をする,そういう鍛錬をする場でもあります。
話が大きくなってきてすみません。
ある場面を見たとき
「好き,嫌い」,「良い,悪い」などといった2択ではなく,
考える努力,
その考えを言葉にする努力,
そういうことを,していきたいです。