最近は色々なリターン図(ホロスコープ)
を調べてサビアンも見て楽しんでいる。
その中でよく出てくるのが「過去を捨てる」
という言葉だ。
普通の状況下では、そんな事簡単に言うな
と思うが、今の私にはぴったりで、
むしろ励ましになるくらいだ。
精神的金銭的に大きな負担だった毒親の
ストレスがなくなり、過去は過去と
少しずつ思えるようになってきて
時々フラッシュバックはするものの
生まれて初めてぐらいの平和な気持ちを
味わえるようになってきた。

リターン図によると研究・追究の時期に
入っているようなので、これからは
雑音に惑わされずに落ち着いて
研究・追究に邁進したい。


今テレビで連日ニュースになっている
磐越道のバス事故のこと。
見識の浅い私の考えなのでもし論理的に
おかしいところがあったら、バカなやつの 
意見だと思って許してもらいたい。

この事故の責任の所在を追及したところで
亡くなった高校生は帰ってこない。

でも責任がある人・団体には
亡くなった高校生の命の重みを
深く心に刻み反省して償うべきは
償ってもらいたい。

では責任はどこにあるのか。
もちろん運転手本人に責任が
あるのは間違いない。

そして運転手を雇った会社
その会社に依頼した会社
(複数あるなら全ての会社)
そして費用を安くすることだけを
考えた学校の関係者
その費用を安くすることを求めた
人がいるなら、その人達にも
責任は及ぶだろうと思う。

送迎バスの費用を安くするという
ことはどういうことなのかを
深く考えずに、できるだけ安く
を求めたのなら求めた人達にも
よく考えてもらいたい。

費用を安くすることと安全を
両立するのは難しいと私は思う。
安全と引き換えにできるものは
そう多くなく、例えばバスの
座り心地などの安全に関係ない
部分とか、、、知識の浅い私では
他に思いつかないが、引き換えに
できるものは極僅かなはずだ。

物価が高く、どんどん何でも値上がり
していて費用を削りたいのはわかる。
でも命には代えられない。

結局費用の話になると物価や収入の
話になり社会的な問題にまで及ぶ。
何もかも国のせいだとは言わないが
国にも責任を感じてもらいたい。

オラクルカードを引くと結構な確率で
出る言葉が
「有害な人間関係から離れなさい」だ。

今年を占ったカードの中にも、その言葉
が出ていた。

私は色々なタイプの人と縁ができやすく
中には依存してきたり利用しようと
してきたりする人もいた。

それはカード以外の占いにも出ていて
原因は私の心の弱さや共感し過ぎて
しまうところなようだ。
だからカードが繰り返しアドバイスを
送ってくれていたのだろう。

その最たるものが母親や弟妹なのだと
最近はっきりわかった。

母が死んで弟妹とも連絡を絶ち
血縁関係での諸々の苦痛から解放
されてみて、初めてこの言葉を
送ってくるカードの
真意が分かった気がした。

実際、母が死んで少しの間は混乱したが
3カ月程で気持ちが落ち着き
そのあとは生まれて初めて経験する
退屈なくらいの平穏さが訪れた。

この言葉が示すものが母と弟妹のこと
なら、今後オラクルカードを引く時に
この言葉が出るのか、他にどんな言葉が
出るのか、とても楽しみだ。






今朝、娘と話していて母親として
思ったことがある。

それは親が子供に残せるものの中で
一番重要で大きなものは
親を可哀想だと思わせないこと
なのではないかということだ。

それは母親に散々な目に遭わされた私が
最後まで苦しめられたのは、その
「母親は可哀想」という気持ちだったから。

その気持ちは私が母親を否定する時に
必ずセットで出てきて私を苦しめた。

可哀想な母親なのにこんなことを
思う私は悪い人間だ、可哀想な母親なの
にこんなことをする私は悪い人間だ、
可哀想な母親なのになのになのに、、、。

それは母親の死後も私を苦しめた。

借金や恨みや怒りはぶつける相手が
あるが、その気持ちの相手は母親
ではなく自分だからどうにもできず
もんどり打って苦しんだ。

だから私はこれからの人生では娘に
可哀想な母のイメージを残さないように
行きていこうと心に決めた。

もちろん日々の愚痴や文句は言うと
思うが、娘の心の根っこに可哀想な
母のイメージを残さないように
生きることが最大の置き土産だと
思うから。

私は、つい最近まで自分を
毒親・ヤングケアラーの育ちだとは
思っていなかった。

第一子で長女だから当たり前
母親は常に忙しかったから当たり前
姑がいて夫(私から見れば父親)に
浮気されていて可哀想な母親だから
できることをするのか当たり前
だと思って生きてきたからだ。

家の中は掃除されていて洗濯もご飯も
困ったことがなかったし
学校にもちゃんと行かせてもらったし
お小遣いも普通にもらっていたから
毒親育ちでヤングケアラーだとは
少しも思っていなかった。

でも最近、娘と母親について話していた時
今まで気づいていなかったの?と言われて
色々検索して、あまりにも当てはまること
ばかりで気がついたのだ。

確かに酷い母親だとは思っていたが
ただ酷い人だと思っていた。

それを認識してから数カ月は精神的に
不安定になったが、その時期を越えたら
すごく楽になった。

もうあの人はこの世にいない。
認めさせて謝らせることはできないが
これから先は出くわしてしまうことも
嫌なことをされることもない。

これからは心の平和と家族を第一に
生きていきたい。