「論理性や合理性」ではなく、「情緒や形」を大切に。
・現代社会において、仕事を円滑に行うには論理性や合理性は必須であると考えます。しかし、果たしてそれらで全てが丸く収まるのかというと疑問が残ると思います。先日投稿した記事をもう一度読んでいただきたいです。
実際、作業を淡々とこなすだけの日常、自分に余裕がなく、常に先のスケジュールを気にしながらの毎日。何が楽しくて生きているのか分からない人、精神病を患い自己嫌悪に陥る人、最悪自○を図る人。
そんな人達が、他人の事に気を配る余裕があるでしょうか。私は自分を満たせていない人が他人に愛を注げるのかと問われれば、そのような愛の削り合いに関わった人達は、いずれ苦しい結果で終わるのではないかと思うのです。
苦しい結果の例として、give&takeがあります。私はこれだけしたのに、相手からは何もお返しがない。このような場合、多くが妬みや恨みなどネガティブな思考に陥ると思います。終いには、自分の人生に満足していないのに、相手が幸せそうだとしたら、一時でも嫌な気分になると思います。
私はこの枠で何が言いたいのか。それは、「仕事量が多く、論理性や合理性を求めた結果、自分へ愛が注げていない」ことをお伝えしたいのです。この考えは本来の日本文化にはありませんでした。欧米の資本主義や民主主義の「自由・平等」に踊らされた結果、国柄である「情緒や形」が失われてきたのです。もう一度、自分を褒めて愛し続け、他人へ見返りを求めずに愛を注ぎ幸せでいられる、そんな情緒を育んでいただきたいと願うばかりです。