やこっちです!

 

この「やこっちの花咲ブログ」もともとライブドアでブログを書き始めて、5年前からアメブロにお引越しをしてきました。

 

「やこっちの☆キレイな花を咲かせましょう」初投稿が、なんと!今から丁度11年前の2005年の12月でした。

社労士受験生日記として始めて、それから色んな自分の想いを綴ってきたとても思い入れのある足跡のようなこのブログ・・・。過去に自分が書いた記事に励まされたり、自由に世の中に何かを表現することの楽しさを教えてくれました。

 

やこっち、というネーミングをとも11年のお付き合いなんだなぁとシミジミ感じています。

 

今日で、この「やこっちの☆キレイな花を咲かせましょう」を手放したいと思います!

 

新たに 沙絢(さあや)としてコチラの場所で、想いを発信していきます。

やこっちの受験生時代から応援してくれて、私のことをずっとここで見守ってくれた皆さんどうもありがとうございました。

11年の月日を経て自分のライフワークに辿り着きました。また新しい場所で、でこれからの自分を楽しく表現していきたいと思います!

これからもよろしくお願いします。

 

沙絢のヒーリングスペース

Facebookであがってた、”過去のこの日”にいいこと書いてた(笑) 残してなかったみたいなので、残しておこう。どんなアドバイスよりも自分の内側からの気付きに勝るものはないねキラキラ

流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星流れ星

 

徳様コンサートに思う「歌」

 

歌い手は自分の声に絶対的な自信を持っていい

声を信頼する

これは私、私の声!

声は変えられない 唯一無二

それをいかに解き放てるか

自分が認めれば、それは素晴らしい

 

歌手は歌っているようで歌ってない

心地よい旋律でしゃべって語っている

それをよりドラマチックにするのがバックバンド

 

メロディは表現を助けるもの

メロディは歌えない

言葉がメロディにのって伝わる時に歌になる

できたメロディに自分の声で紡いだ言葉をのせるだけ

 

言葉があるから歌になり

歌があるから言葉となる

 

言葉は左脳的で思考を生む

だからこそメロディは流れるものでなければならない

自分が歌おうとすると流れは止まる

メロディがあなたと私を別ってしまう

メロディをつかまえない

あなたと私の間に流れるメロディに楽しく身を任せることで響き合う

ふと、なんと、7か月振りにブログを書いている

自分でも唐突な行為

 

なんだろね。

 

この7か月の間に色々あった

特に、歌。 というか、歌。

 

やこっち は、社労士受験ブログを経て、ただ今シンガーとして活動中です。

そして、つい最近から社労士としてもね☆

(おいおい、このことも書いていけたらいいな。なんたってブログ誕生のきっかけは、社労士だからね)

 

今年の初ステージは、3月だったんだけど、そこから半年色んなことを経験させてらもらいました。

歌以外のプライベートやお仕事も、歌と共に螺旋を描くように成長中。

 

そうそう、それで、今日テレビでふと歌のコンテストを見て思った。

 

決めたもの勝ちだな、と。

 

テレビに出てるから、プロだから、アマだから、って関係ない

有名になりたかろうが、商業的だろうが、誰かに恩返ししたかろうが関係ない

 

自分の歌を歌えているかどうか

上手くても下手でも、自分の歌を歌えているかどうか

 

心と音が一致しているからこそ、体という共鳴腔を通じて

よりエネルギッシュに外に響きを放つ

響きはどうしたって伝わるものだから

放った限りは伝わるもの

思っている以上に 良くも悪くも響きは伝わる

 

自分の器で、歌のスケールも変わってくる

だからありのままでいればいい

常にそのありのままを受け入れ続けることで

何かが少しずつ変わってくる

これが私の歌なんだって

堂々と歌っていたい

 

自分を大事にできている人の歌は、きっと心地いい

きちんと自分の足で地を踏みしめて歌いたい

試したり挑戦したりする歌じゃなくって

ただ、やさしい歌を いつか私は歌いたい

 

毎朝起きて 通学


毎朝起きて 通勤


毎朝起きて 家族の支度


朝がやってくる・・・

今日が始まる・・・

また同じ1日が始まる・・・


あれをして、これをして、そして出動


輝く朝日が目に眩しすぎることがあるかもしれない

太陽が昇る気配すら感じられないかもしれない


ただ、そんなあなたに気付いて欲しい


学校に行くための朝でもなく

会社に行くための朝でもなく

家族の世話をするための朝でもなく


どんな朝も 私の朝なんだってことを


あれをする

これをする

しなきゃいけない

いかなきゃいけない


それもこれもぜーんぶ含めて

自分の時間

ただの朝の時間を切り取ってるんじゃない

ぜんぶ含めて私の朝なんだ

1日に1回、人生で一回、この始まりの朝


それは朝に限らないかもしれないね


あれをするのもこれをしなきゃいけないのも事実

だけどそれを選んでいるのは私

誰のものでも何かのためでもなく

それは私の朝なんだ

私が過ごす朝は 私の朝なんだ


そこに気付くことから

朝目覚めることのできる奇跡

一日をまた迎えられることへの感謝

それを本当に体験することができるんだろうな


一日一日にありがとうを

私にありがとうを

あなたにありがとうを

唱えていける毎日になりますように


花


3年前の1月28日のフェイスブックの記事に父が退院したことが綴ってありました。2012年の年末から肺炎をこじらせてお正月を病院で越した時のことです。


この時に自分なりに父親の存在というものの認識が改まり、グッと距離が近くなり、入院中に色んな話しをすることができました。この時の父の言葉達が、父がなくなった時に私を支えてくれました。そして今も心に息づいていると思います。

この出来事があったからこそ自分なりに父親の死を受け入れることができて、そして、前に進めると思うのです。

ピンチはチャンスアップ全ては必然だな~と思うのです虹


健在で母も祖母もいる私へのメッセージだなぁと思って、改めて自分の言葉をブログにアップしたいと思います。


星チョコ星チョコ星チョコ星チョコ星チョコ星チョコ星チョコ星チョコ星チョコ星チョコ星チョコ星チョコ


元記事に沢山のいいね!をありがとうございました。お陰様で一昨日、父は退院できました(^o^)

今回の出来事は、私にとっても父にとってもとてもいい機会だったと思っています。娘にとっての男親の存在というところの絆の部分を意識することができました。これは私にとって、自分の人生を歩いていく上で必要不可欠な気付きで、今でしかないタイミングの気付きでした。


親を知ることは、自分自身を知ること。


理解するのでもなく、受け入れようとするのでもなく、ただ知ること。

親を知ると自分自身を知ることができます。

親を知ることはご先祖様から流れ次ぐ系譜のパワーを授かるようなことだとも思います。

親のことを誇りに思えると、自分自身の存在そのものも肯定できます。

たとえ親のことを誇りに思えなかったとしても、親に背を向けることは自分自身にも背を向けていることだと思うのです。

親に向き合うのが怖いのは、本当の自分(受け入れられない自分の存在)を知ってしまうような怖さもあるのかもしれませんね。


小さい頃は~神様がいてー
毎日愛を~届けてくれたぁ音譜
心の奥に~しまい忘れたー
大切な箱 ひらくーときは今音譜