回想してみれば・・
卵管切除の手術をするかどうか、選択の時は高度不妊治療を始めてわりとすぐに訪れたと記憶している。
一般不妊治療の病院から地元のIVF病院に転院してすぐのことで、用語や採卵までの治療サイクルもまだよく理解しきれていない状況の中、卵管詰まってるから卵管切除しなければこれ以上治療は進まないで~す、的な雰囲気で選択を突き付けられた。
「治療を進めるようなら手術の紹介状を書くのでまたいらしてください、サヨウナラ~」というような軽い感じの対応で、体にメスを入れた事のなかった私には、その軽さが異世界のように感じられたことを覚えている。
卵管切除するにあたり、デメリットや後々のリスクがあるのかをかろうじて質問してみたが、「ないですね」とやや冷めたトーンの声ではっきりとした回答があったことも覚えている。
帰って旦那に相談してみたが、二人してよく理解できていないため説明もおぼつかず。
旦那も「よくはわからないけど、治療のために必要ならば挑戦してみては?」といった反応だったので、後日再診の予約をした。
そのIVF病院では手術・入院の対応ができないとのことで、提携している大きな病院に紹介状を書いてもらい、手術のための受診をした先でも「卵管さえ取ってしまえばあとは道が開けるから、頑張りましょう」と励まされた。
まさか、数年後にその手術の傷が開いて壮絶な痛みを経験することになるとは、当時全く考えもしていなかった。
腹壁瘢痕ヘルニアは、開いた穴に腸が挟まったまま圧迫されることで痛みを感じ、うっ血した腸が時間の経過とともに壊死する可能性もあるため、死亡のリスクもゼロではない。
”痛い・恥ずかしい・苦しい・またダメだった”およそネガティブなワードばかりだった不妊治療。
金銭的な圧迫もあった。
自分の好きな物や好きな事を我慢し、抑制する毎日だった。
それでも子供ができることで病院を卒業できたら報われる部分も大きいだろうけど、
私には何も残らないばかりか、腹部に無数の手術痕が残り、今も痛む。
すべての治療を後悔はしていないけど、ひとつひとつの治療に対して重みを理解し、その上でしっかり覚悟ができていたかといえばそうではなく。流されるまま、受け身なままだった部分もあったなと、今は思う。