働けど働けど我が暮らし楽にならざり
当時を思い出すと
ただただ胸が苦しくなります
20年も前のことです
働いているのにお金が足りない
借金の返済がある
家賃の滞納もある
そんな
先が見えない暗闇の中
無我夢中でした
どうやって生計を立てていたのかさえ
良く思い出せませんが
苦しくて
暗くて
悲しい感情は
当時のまま蘇ってきます
まさに
「働けど働けど我が暮らし楽にならざり」です
メインの仕事だけでは追いつかないので
常に掛け持ちでアルバイトをしていました
ある時期
パチンコ店の清掃の仕事をしたことがあります
閉店後の店内清掃です
2時間程度の仕事でした
時給は1300円
当時としては高時給でした
閉店する22時に店内に入りますが
閉店直後は
まだお客さんが残っていて
知っている人に会ったらいやだなぁ
なんて思いながら
なるべく下を向いて
持ち場に移動していました
仕事は
パチンコ台や床の清掃で
最初に
たばこの吸い殻をまとめたら
次は
パチンコ台を拭いていきます
トイレ掃除は
順番で回って来ました
先輩から
便器はいつもピカピカにするようにと
清掃手順も厳しく教わりました
毎日4~5人で行うので
仕事はきつくはありません
自分の清掃場所の
任務が完了すればOKなので
ある意味気楽な仕事でした
働いている人たちとも
仕事が終われば解散なので
挨拶する程度で
それ以上の会話はありません
昼間スーパーで見かけても
お互い見て見ぬふり?
その頃
末の息子は小学校の低学年
私の帰りを寝ないで待っていることもあって
家に帰ると
眠そうな目で私を見て
「おかえり~」って言ってから寝る息子
あの頃
生活保護がもらえていたら・・・なんて
今更ながら
無駄な想像をしてみたりして
だとしたら
もう少し
子どもたちに寄り添えたのだろうか・・・
あの頃
私と同じような境遇の人は
どういう風に生計を立てていたのだろう?
SNSが発達した今なら
情報共有することができただろうな
なんて・・・
漠然と思うけれど
心の内を話せる人もなく
孤独でした
兄弟姉妹は冷血で
あえて私から遠ざかり
頼る人が一人もいないという
真っ暗な闇の中で過ごした
言葉では言いあらわせないほど
心が小さく委縮した時代でした
つづく