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日本の歴代の天皇が、他の国の君主などと決定的に違うのは、「威厳」と「徳」
を持つ君主である事。(決して上から目線ではない。)
歴代の天皇の中でも有名なエピソードのひとつが「民のかまど」ではないでしょうか。
「高き屋に のぼりて見れば 煙たつ 民のかまどは にぎはひにけり」
ある日の夕暮れに高殿から周りの民家を眺めていた仁徳天皇が、
家々のかまどから立ち上る煙が薄いことに気づき、夕飯の支度も
満足に出来ない民の窮乏を察し、三年間の租税賦役の免除を命じた。
また、天皇自らも衣を新調せず宮垣が崩れ、茅葦屋根が破れても修理をせずに
質素な生活をして、民と苦労を分かち合った。
その後、民は天皇への報恩感謝のために、力を合わせて公宮の修繕を行いました。
「仁徳天皇」が崩御されたあと、民はその御恩を忘れずに、
協力して世界に冠たる大古墳をも作りました。
そのため「仁徳天皇」は「聖のミカド」と呼ばれました。
「昭和天皇」も戦後、国民を思い、御自ら全国巡幸を発表されました。
「日本」と言う国は「天皇が民を思い」「民は天皇を思う」まさに相互関係の国、
「和国」なのです。
飛騨の阿礼家(稗田阿礼の子孫)の口伝えによると「天皇家」は
「神武天皇」より更に何代も続く家系としてあったそうです。
現在、皇紀2670年ですが、それよりも前から続くと言う事は、天皇家の歴史は長く、
万年単位以上前に遡る可能性があります。
まさに「万世一系」の可能性が高いです。
その「天皇」の中で大帝と呼ばれる方がおりました。 そう「明治天皇」です。
1890年(明治23年)10月30日に、明治天皇の名で教育勅語(教育ニ関スル勅語)
が発布されました。
明治維新後、西洋の学術・制度が入り、知識の伝授に偏る学校教育を修正して、
「道徳心」の育成をも重視するとして発布されました。
その趣旨は、明治時代半ばから昭和時代前期まで、日本の修身・
道徳教育の根本規範と捉えられた。
1.親に孝養をつくそう(孝行)
2.兄弟・姉妹は仲良くしよう(友愛)
3.夫婦はいつも仲むつまじくしよう(夫婦の和)
4.友だちはお互いに信じあって付き合おう(朋友の信)
5.自分の言動をつつしもう(謙遜)
6.広く全ての人に愛の手をさしのべよう(博愛)
7.勉学に励み職業を身につけよう(修業習学)
8.知識を養い才能を伸ばそう(知能啓発)
9.人格の向上につとめよう(徳器成就)
10.広く世の人々や社会のためになる仕事に励もう(公益世務)
11.法律や規則を守り社会の秩序に従おう(遵法)
12.正しい勇気をもって国のため真心を尽くそう(義勇)
「教育勅語」の中で陛下ご自身さえも、祖先を敬い、自らを律して
国民と共に、立派な日本人となるよう一緒に努力しましょうと説いています。
しかし、終戦後「GHQ」は、教育勅語が神聖化されている点を問題視し、文部省が
1946年(昭和21年)に奉読(朗読)と神聖的な取り扱いを行わない事を通達した。
1948年(昭和23年)6月19日に、衆議院では「教育勅語等排除に関する決議」が、
参議院では「教育勅語等の失効確認に関する決議」が、それぞれ決議されて
教育勅語は排除・失効が確認された。
戦前の道徳教育を失った事により、教育は敗退し、個人主義を尊びとする
反日的な「日教組」等が日本人でありながら、日本が大嫌いな人達を増やし、
国を衰退に追いやっているのが、現状です。
だが、戦後、失われたと思っていた「徳育」の要である「教育勅語」が「GHQ」や「日教組」が思いもしないところに残っていました。
それが日本のサブカルチャーである「アニメ」や「漫画」です。
今日も終われなかったです。後編へ続く。(やっと、本題に入れそうです。)