文章を書くことや読むことは心のヨガでもあるんだなぁ、と思う。

あるセンテンスに胸がきゅうっとなったり、

すごく勇気づけられたり。

痛い時もあれば、暖かい時もある。

すごくヨガをしている時の感覚と似ている。

心も動かすことで体と同じように感覚に幅が出てくることを知り、

今まで知覚したことのなかった領域に入って行くことがある。

決して無理矢理でなく。

私はブログを書くとき、自分の言葉であるかどうかに気をつけている。

有名な人や誰かが言ったことを引用するのは簡単だけれど、

ある日ふと、それは自分から出た言葉ではないことに気づいた。

自分の経験から辿り着いたものではないから、

自分を大きく見せているようで少し居心地が悪いことに気づいた。

どんなにその人の言葉に共感したとしても、

自分はそれをまだ実践していないか、実践の途上である。

自分の感覚を等身大で表現していくことが、

なんだか今の自分にとって、

ヨガの先生としてとっても大切なことのような気がする。

自分をおっきく見せたり逆に小さくなったりする必要がないのがヨガ。

だったら自分がそうしていた方が楽だなぁ、と。

そうすればヨガは私にとって、誰と競争しているわけでもなく、

いつまでもありのままの自分でいられる場所であるはず。

習う生徒さんも、その方が習っていて楽なんじゃないかなぁ、と。

でも、例えば会社で働く社会人として、競争社会においては、

自分を守るために大きく見せることが必要な時もある。

だんだんそうして見せているうちに、

どこまでが本当の自分かわからなくなる。

その行き過ぎた心や体を調整するのがヨガでもあるんだけど、

ヨガも、自分の体が悲鳴をあげているのに気づかない時が、

残念ながら少なくはない(それはヨガでない、とも言う… ^^;)

ブログを書いていると、突然遠くに住む人から

メッセージをいただくことがある。

「なんだか前向きになるので読者登録させていただきます」

「地方にいてレッスンに行けないけど、

東京に行ったらYASUKOさんのところへ行きます」

「書いている内容に共感するので、アメンバーになってください」

本当に全然会ったことのない方々に

そんなこと言ってもらえるなんて、

ヨガの先生になる半年前では考えられなかったこと。

ヨガの先生から、ボランティア活動に興味を持ってもらえることも多くて、

こちらこそ感謝の気持ちでいっぱい。

このブログでは、そのまんまの無理しない自分で、

伝えたいことを伝えること。

これってヨガじゃん!読む人の心に向けて文章でヨガしてる!

と、思った次第です。

なんか日本語変ですが。。。

もとい。

だってブログだもの。

すっごく遠くを見て、もがいている日々を記すのもいいけど、

少しだけど前進していく自分を記す方が楽しいでしょ?

赤ちゃんのアルバムのように…

知識や情報の転用だけでなく、心を掘り下げて、

経験を自分の「いま」の言葉で書くこと。

大げさにいえば、私にとって文章を書くことは、

毎回その葛藤とせめぎあいなのです。

まぎれもないその時の自分が、そこに記せたとき、

未来の自分が見て大切なものが、

きっとそこに残されている気がします。

それがこの情報で埋め尽くされた社会に残された、

空白のエリアなのではないかとさえ思う。

ヨガやアーユルヴェーダは、覚えることが多く学びの道が長すぎて、

急ぎがちになるけれども、ひとつひとつ知覚して心を動かしながら。

そんなことを大切にしながら、これからものんびりと書いていきます。

どうぞよろしくお願いします☆

Mahalo!