あれだけ毎月行ってた、コンサートも、めっきり行くことが、減ってしまったけど、仕事やプライベートの予定がうまく都合よく回ると、やっぱり、なんかいいやつないかなあ。
と、日付限定で、各ホールの公演スケジュールを見て回る。
これは!
と、思ったのが、関フィルの定期

伊藤ていじ
終わらない庭
三島由紀夫 仙洞御所
井上靖 桂離宮
大佛次郎 修学院離宮
の三編が収録され、他に伊藤ていじの、庭園に付いてかれたものがある。
三庭とも、京都にあるけど、なかなか敷居が高いとこで、めんどくさがりのわたしには、なかなか行けないとこ![]()
行ってないもんだから、お三方のご案内にも、ネットでお庭の写真見ながら読み進めないと、ワケわかんない。
あー、読むの疲れた。
でも、三島由紀夫の仙洞御所
この本のタイトルでもある、終わらない庭
であることの意味は、本当に興味深い。
西洋庭園、日本庭園の比較は、よくあるけど、三島由紀夫は、そこに、所有者の存在について考える。
例えばヴェルサイユ宮殿。
その広大さは、日本のどの庭園とも比べ物にならないほど、広大。それは、統治者の「空間への無限の憧憬」があるがゆえ。
まあ、つまり俺様は、こんなにどこまでも広い庭園を治めてるんだぜ。的な感じかな?
でも、それって無限ではないわけで。
どこかで、終わりを迎えるのよね。
だから、整然とした、幾何学的な配置や、噴水のような人工的に水を型作って、美と整った広大さで、限界を補う。
な感じかな。
それに対して、日本の庭は、時間で庭に無限を表現させる。
水は流れてる。どこからかやってきて、またどこかへ行く。
石の苔もそう。苔なんて、一朝一夕にあの深い緑を出すように、石にへばり着いてるわけではない。
日本庭園は、時間を感じさせることで、そこに、橋をかけて、時空を超えて楽しむ。
そんな感じのようです。
京都の、無鄰菴 に行ったときに感じたのも、そうだった。庭を流れる水は、琵琶湖疏水からやってきて、ここを通って、隣の料亭 瓢亭の庭を風情豊かにして、また他所に行く。
そのときに思った。
今、わたしの足元を行ってる水は、数分前、数分後数時間後で、形を変えて、それぞれの役割を持って、回っていってる。
その不思議な感覚。
このことが、庭を美から無限をへと変化させてる。
うーん。
恐るべし。三島由紀夫。ええこと聞いたわ。
ありがとう![]()
その流れで、金閣寺 なんかを、今ごろ読んだ。
こちらも、美 だねえ。
なかなか、難解ではあったけど。

某鉄道駅で、でかでかと貼り出してた、このポスター。何度も足を止めて眺めた。
美と時間を考える、今日この頃でした![]()



