数回前から始まった思い出の旅シリーズ。
旅行に行けないこのご時世だから、以前に行った旅を振り返りほんの少しでも旅行に行った気分になろう!と書き始めました
100%備忘録を兼ねた自己満足の世界です
前回の続きで2017年の麗水旅行その15スタート
李舜臣広場から梧桐島(オドンド)方面へ海沿いの道を歩いている途中の鍾浦(ジョンポ)海洋公園の道を挟んだ向こうにこの建物がありました。
麗水市文化院。何だろうと、そっと覗いて見たら、おじさんが入って見ていったら良いと言ってくださったので、入ってみることにしました。
中には、生活品や装飾品、凧、仮面、亀甲船など様々な展示品がぎっしりとあってとても興味深かったです。
鍾浦(종포 ジョンポ)。この辺りの地名なんですね。
さらに歩いていると亀甲船大橋、海上ケーブルカーのすぐ横に来て、灯台も見えて来ました。
せっかくなので、灯台まで行って見ました。
ハメル灯台というらしいです。
昼はこのように赤い灯台ですが、夜はライトアップがされて様々な色の変化がまた素敵です。
ハメルとは?↓↓
「麗水とハメル」
ネーデルランド(オランダ)の東インド会社所属のヘンドリック・ハメル Hendrik Hamel (1630-1692)と一行64名は、1653年7月、交易船「デ・スペルウェール」(De Sperwer) 号に乗船して日本の長崎へ向かう途中の1653年8月に暴風雨に遭って朝鮮半島南部沿岸「ケルパールツ島」(済州島)の海岸に座礁し、生存者36名のみ救助されました。
1654年6月、漢陽(ソウル)に移って、1656年3月全羅南道康津(カンジン)の兵営へ配置される。
1663年2月、12名のみ全羅左水営へ再配置されて、イ・ドビン水師と麗水の人達の助けを受けて暮らしていった。
1666年9月4日の夜(陰暦)、8名は月の満ちた引き潮に帆を掲げて帰郷しました。(13年間という長い年月を韓国で過ごしたということです。)
彼らは日本を経て無事に帰国して、当時の朝鮮の生活の様子を記録した「ハメル漂流記」を出版し、これをきっかけとして韓国が西洋に最初に知られるようになりました。
ハメル灯台は、麗水(ヨス)で3年6ヶ月暮らしたハメルが、故国に向けて旅たった場所に建てられたものだそうです。
どこかで聞いたような話だと思っていたら、2009年にソウちゃんが主演したMBCドラマ「タムナ」の元になったのが、このハメル事件ということらしいです。
「タムナ」はイギリスからの漂流で、フィクションですが、漂流の件は似たような話だったので納得しました。
時間があれば、昼夜それぞれの風景を楽しむのも良いですよね〜〜
オランダのイメージかしら
ハメル展示館では、ハメル漂流記を書いて西洋に朝鮮半島の存在を知らしめたオランダ人、ヘンドリック・ハメル(Hendrik Hamel)とその船員の紹介やスペルウェール(Sperwer)号と朝鮮の板屋船の模型や2012年の麗水(ヨス)万博で、オランダから贈られたハメル報告書等が展示されています。
ハメル展示館の前にあるハメル像。
●ハメル展示館●
亀甲船大橋の横
入場無料
9:00-18:00
月曜日休館
ハメル展示館を出て、さらに海辺の遊歩道を歩き、亀甲船大橋の下を過ぎて、長いトンネルを通って、トンネルを出たところの左手に紫山公園側の海上ケーブルカー乗り場があります。
そちらは後で行くことにして、右手にある梧桐島(オドンド)方面へ向かいました。
この時、前方から来る4人のおば様方から、「あら、お嬢さん!」って、突然声をかけられてビックリしました
お顔を見ると、前日のヨスシティーツアーバスでご一緒したおば様方でした
お顔を見ると、前日のヨスシティーツアーバスでご一緒したおば様方でした
おば様方は、梧桐島(オドンド)観光を終えて戻って来たとのことでした。本当に偶然の再会にビックリしました。
覚えていて声をかけて下さったのは嬉しいけれど、「아가씨 お嬢さん」と呼ばれるのはかなり気恥ずかしい年齢なんですけど〜〜
おば様達と感動の再会をして、今日どこを観光したかを報告しあって、お別れして梧桐島(オドンド)へ向かいました。
続く