私の場合ですが、連れ合いでも友人でも同僚や部下でも長く一緒にいたりすると、ちょっとどころか、かなり相手に期待して甘えてしまうところがあります。
以心伝心とか都合よく考えて、
言わなくてもわかるだろうとか、やってくれるだろうとか、だろう運転してしまいがちなのですが、以心伝心という言葉を改めて調べてみると、以下のように書かれていました。
【以心伝心の由来】
禅宗の慧能(えのう)が「言葉では表せない仏教の神髄、教え、考え方を、無言のうちに師匠から弟子に伝えること」という意味を説明するのに「法即以心伝心、皆令自悟自解」という言葉を用いた。以心伝心は慧能のこの言葉に由来する。また「法即以心伝心、皆令自悟自解」という慧能の言葉は「六祖壇経(ろくそだんきょう)」という経典(きょうてん)に書かれている。経典とは、仏教の教えを書きとどめた書物のことである。
禅宗の慧能(えのう)が「言葉では表せない仏教の神髄、教え、考え方を、無言のうちに師匠から弟子に伝えること」という意味を説明するのに「法即以心伝心、皆令自悟自解」という言葉を用いた。以心伝心は慧能のこの言葉に由来する。また「法即以心伝心、皆令自悟自解」という慧能の言葉は「六祖壇経(ろくそだんきょう)」という経典(きょうてん)に書かれている。経典とは、仏教の教えを書きとどめた書物のことである。
以心伝心とか宣うには5千年早かったです。
やはりただの人と人ですから、善くも悪くも言葉と行動によって表していかないと相手には伝わりませんね。