す昨日は11月22日でいい夫婦の日だったそうで

今の奥様と入籍して 丸4年経ちました


去年までは日頃行かないようなホテルのディナーとか バカ高いゴルフ場なんかにも行ったけど

今年は仕事が忙しいこともあり

特別にどこにも連れて行ってやれなかった

(まあ今まで上手くやってこれたのも俺の寛大な性格のおかげかもな とか冗談で言ったら

冗談抜きでふざけんなってムッとされヤバかった)

まあ という事でこれからもよろしくお願いしますネ






4年かあ と思っていろいろ保存している写真を見返してみた


丸松開店してそんなに経ってない2017年の暮れに松っちゃんにご馳走になる



亀有吉田君の店に行ったら

奥さんスゲー可愛い



現在の貴重な戦力

俺の一番大事な右腕のミウラと現在死ぬほど頑張ってくれている本店のタツヤ



田無一国 移転して開店した時

こちらの奥様も美人なんだよなー



カラオケ好きな変なおじさんと




青木君が飲みにきてくれた時



健太の店で

おーいヒロタカ 元気してるかー?



青木君の店も評判いいしね



今年開店した

伊藤君のもつ焼きジョン

これからの店

頑張れー




秋元屋もまあほんとにいろいろな人に働いてもらって 今までなんとか続いていて今年で20周年!

自分と一緒に働いて その後に独立して店をやって

みんなそれなりに繁盛店になっていて

それはなんでだろうと思うと

やはり秋元屋で働いている時は

安い給料でこき使われ 長時間働き

自分にはあーしろこーしろ言われ

それでも頑張っていた真面目な人だけが長く社員として残って働いてくれていて

その延長で独立するから上手く行っているのだと思う

独立してお店を開店して 秋元なんかの顔もうみたくないわ って感じで全く関係が途絶えているのもいるが まあもちろんそういう奴らも秋元屋時代はどんだけ懸命に働いてくれたか

忘れてないよ

感謝の気持ちしかないわ

そういう意味では自分は今でも仲間だと思っている

ただ残念ながら繋がってはないわな


自分が蕨の「喜よし」で修行させてもらってた時

師匠の石塚さんが荻窪時代に働いていた

石塚さんの師匠の社長が「喜よし」に見えたことがあった

まず石塚さんの師匠に対する態度が

言葉使いから何から驚くほど丁寧で

感謝と尊敬している気持ちにあふれていた

そばで見ていてさすが石塚さん いいなあーって思ってみていた

その日自分も荻窪社長と一緒に高円寺で飲んで

いろいろ話しをうかがった

その時印象的で今でも覚えているのが

「石塚は独立して自分の店を持ったけど 今でも自分と石塚は繋がっている 辞めたって繋がっているのは嬉しいし大事だと思う」

まあ自分なんかにも お店をやるためのアドバイスなんかもしてくれて 

「秋元さんも自分の店をかたちにしな 頑張りな」とても記憶に残っているし

ありがたかった

もちろん今でも何かあると石塚さんは相談に乗ってくれるし たまーにだけど蕨の「喜よし」には顔出してます

足向けては寝られないね





確かに仕事を教えてもらった人 世話になった人に感謝の気持ちをもつのは当たり前だろうし

それができない人が お客様や働いてもらっている従業員の人達に感謝の気持ちを持てるだろうか

儲かればいいと言ってお客様に失礼な店

バイトの人にパワハラするなんてのは

そういうことが根本にあるんではなかろうか


そんな事を考えたのは


板橋の赤尾君から嬉しい電話をもらった


「12月の11日の月曜日 貴重なお休みの日で申し訳ありませんが もしその日予定が空いてましたら

松浦さん(東中野丸松)吉田さん(亀有吉田)と食事会いかがですか」


「全然空いてます、空いてます」


どうせなら辻大社長(やきとんひなた)も誘ってみたらどうなんだろう 

OKという事で 場所は自分に任すという事で この際ちょっと奮発して新宿の中華で

5人で上海蟹を食いに行くことにした

それと嬉しい事に 昨日は

カズ(田無一国)とノリ(横浜鶴見 高木山)が2人して秋元屋に飲みにきてくれた

もういいっていうのに 御徒町の加藤君は開店以来10年以上酒送ってくるし

東村山の青木(もつ焼きレン)も酒持って顔出してくれるし

中野坂上の鍋屋の健太なんかもたまに電話してくれて 一緒にゴルフやったりするし

都立家政のミツヒロクンは言わずもがな

(ただ奴は毎週のようにゴルフで往復自分にクルマ運転させて しかも金を巻きあげる)


荻窪の社長さんが言っていたように

自分まだ皆んなと繋がってんじゃん