楽天同志から、久しぶりの投稿がありました。

ご一読ください。

 

日光・中禅寺「走り大黒」の怪           楽天記

 

 まずは写真①を見て欲しい。人間の輪郭を描いたように見える不思議な絵だが、実は日光・中禅寺湖の湖畔にある中禅寺(天台宗)がお守り(縦8.5センチ、横4.5センチの紙)として授けている「走之利(はしり)大黒天」なのである。

 中禅寺は像高6メートルもある立木観音で知られる坂東三十三観音霊場第18番札所で、霊場巡りガイドブックはこの「走之利大黒天」にも触れている。

「日光開山の勝道上人が中禅寺湖にやってきたとき、波の上に現れたという大黒天をまつる。『波の上を走る』が『安産』を連想させ、安産の御利益があるとされる。また『波に乗る』ことから開運、『波の上にとどまる』が『足止め』に通じるとされ、家出した人の帰還願いや、恋人や配偶者の浮気防止の御利益があるという」(『坂東三十三ケ所札所めぐり』小林祐一著、メイツ出版)

 大黒天の御利益といえばなんといっても金運、財運だが、「走之利大黒天」はそういった定番はうたわない。「浮気防止」「家出人の帰還」や「安産」に霊験あらたかな神様なのだという。

米俵の上に立ち袋を背負い小槌を持つお姿に親しんでいるだけに、「本当に大黒天なの?」と疑いたくなる。上野逍遥講の調査報告で皆様に紹介した「三面大黒天」ともまったく異なる。奇怪、異様としか言いようがない。大黒天のルーツであるインドや日本伝来前の中国にも存在せず、国内でも中禅寺にしかないとされる大黒天なのである。

大いなる謎に迫るチャンスは意外に早く訪れた。筆者の参加する例の巡礼グループが坂東の札所巡りを企画してくれたおかげで、昨年7月に中禅寺を訪れることが叶った。

お寺には仁王門から入る=写真②。参拝者のお目当ては「立木観音」(高さ6メートルの巨大な千手観音に圧倒される。一見の価値あり)であり、頂いた御朱印も「大黒天」とは書かれていない=写真③。

境内の大黒天堂はかなり立派な建物だ=写真④。案内板には、確かに「安産 足止め 波之利大黒天」と書かれている。

言い訳となるが、巡礼は団体行動で、筆者以外に大黒天に関心ある同行者はおらず、残念ながら堂内に入る時間はなかった。同寺HPによると、年4回の「甲子の日」に護摩祈祷が行われている。我らが護国院大黒天の護摩修法と似ているのか、全く違うのか、知りたいものである。

寺職員の案内で境内を巡りつつ、「走之利大黒天」がらみのものはないかと探してやっと見つけたのが冒頭のお守りだった。お守り頒布所の端っこに特段の説明もなく置かれていた。饒舌な寺職員の説明にも「大黒天」は出てこなかった。「走之利大黒天」はメジャーな信仰ではないようだ。

暗いところが苦手の筆者がうす暗い堂内の売店で「お守り」を見つけることが出来たのは不思議なことで、ご縁を感じざるを得なかった。そのお蔭で、謎の解明に手がかりを得ることが出来た。お守りには縁起由来を紹介した「日光中禅寺走之利大黒天」=写真⑤=と、お願いごとの仕方を説明した「お願いごとのときには」=写真⑥=がついている。

縁起を補足要約すれば、奈良時代に勝道という修験僧がいた。日光を修験道の聖地とすべく、男体山の山頂を極めようと何度も挑戦したが果たせなかった。その努力を善しとした大黒天が湖上に出現し、湖畔に庵を結んでいた勝道に「吾は汝を外護せん」と告げた。そのご守護のお蔭で山頂を極め(山頂への修験ルートの開拓がなり)、日光開山の偉業を成し遂げた。中禅寺はその名の由来となった中禅寺湖の湖畔に建ち、境内から湖面を見渡せる=写真⑦。あの湖面に大黒天が現れたのかと想像が膨らんだ。

勝道がその時に見た大黒天を刻んでお祀りしたのが「波之利大黒天」だとされる。「この大黒天は、よく諸人の苦厄を救わせ給い、特に事業成就、道中安全、開運の尊天」であり、「別しては、安産、足止め、盗難除の守護天として全国的に尊崇をうけております」と説明されている。

興味深いのが祈願作法の説明だ。これがすごい。

一、盗難や失せ物に遭ったときには、「大黒天の両足に縫い針を指し、他人に知られないように逆さまにしてお祀りし、日数を限ってお願いする」。

二、「足止め、走り人、家出人、尋ね人」のときには、「その人が男なら左、女なら右の足に縫い針を指し」、一と同様にお祈りする。

三、安産祈願は、「茶碗に清水を汲み、大黒天のお姿を水鏡に写して、その水を産婦に飲ませた後、お姿を腹帯の中に抱かせて置き、朝夕、福子安産を祈る」。

「安産」はまあ理解できるとしても、一、二は藁人形にくぎを打ちつける「丑の刻参り」を連想させる気味悪さがある。まさに秘法でしょうか。

縁起では「事業成就」など現代人受けするご利益を前面に出しているが、本来は具体的な祈願作法を説明している「盗難」「家出人の帰還」など、つまりは「去って行った物(者、心)を取り戻す」霊験が売りになっていることが読み取れる。巡礼ガイドブックが「恋人や配偶者の浮気防止」と紹介するのも、寺の公式文書には書けない口コミ情報として流布していると考えれば納得がいくというものだ。

それにしても、こうした寺側の情報だけでは、なぜ大黒天が奇怪な姿なのか、分からない。謎を解く鍵は大黒天の入門書として知られる『大黒天信仰と俗信』笹間良彦著、雄山閣にあった=写真⑧。

同書は「日本の大黒天の諸相」として、三面大黒天、六大黒天(これもいずれ紹介したい研究テーマ、今回は省略)とともに「走り大黒」を取り上げている。中禅寺のお守りにある絵姿と同じものが「日光の走り大黒天の霊符」として掲載され、出典は『東京風俗史』としている=写真⑨。

笹間によると、「走り大黒」は江戸後期の随筆『譚海』に記述があり、南方熊楠が『十二支考』の「鼠に関する伝説と民俗」の項で引用し、「日光に走り大黒と言うお符がある」と紹介している。

お符の由来は、「往古中禅寺に年劫経た大鼠がいて所蔵する多くの経を食い破ったり諸方を噛んだりする、被害が甚だしいので摑まえようとしたが逃げられ、下野国足緒という所まで追い、そこでようやく捕まえて殺し、鼠の死骸に紐を付けて引いて帰った。この鼠の死骸に墨を塗って紙に捺すと大黒天の像があらわれたので、この画像を「走り大黒」というのである。日光山ではこの鼠の死骸を保管しておき、希望者にこれを捺してあたえる。

驚きました! 魚拓ならぬ「鼠拓」だったとは。鼠の死骸でつくった「鼠拓」をどう見ると「大黒天」になるのか、首をひねるばかりです。それにしても、日光開山の勝道上人はまったく関係なかったことになります。大黒天が湖面に出現したなんてこともなし。どこかの時代に「営業」熱心なご住職が、気味の悪い「鼠拓」を勝道上人の開山苦労話に換骨奪胎して霊験譚を作りあげたのではないかと勘繰りたくなります。

いやはや、それにしても大黒天信仰は奥が深いですね。『譚海』が伝えていることに真実性があるとしたら、「鼠拓」に「大黒天像」を読み取った当時の人々には何らかの大黒天信仰があったことになります。コロナ時代ですが、上野逍遥講の大黒天研究は続きます。

以上