4.🍠真理を知る為に:修行編🍠
キーワード:底無しの底・腸絶対的根源的生命力・最深の根・全ては芋づるで繋がっている(SHIT)
🍠当たらな芋占い:芋易を深掘ってみたいも🍠

「物質」というおいもつきによって物理学の進歩は凄まじいものとなった。そちらはニュートンやアインシュタインとやらに任せよう。
量子論によって存在論的な問いが万人に開かれた。
私はどう答えるか。
メタフィジックこそ原点。エピステーメー。抑、てめーは誰だ?
老獪な東洋のエッセンスを小さき頃から啜る我ら。
芋易によってより深い法則を理解しよう。
芋易の畑には観察と数理的秩序がきちんと埋められている。
芋易では陰陽五行を根本とする
近代科学なるものと比しても、易は恐るべき観察力と天体法則・数理的秩序が踏まえられている。整合性はすさまじいものである。
科学・哲学・宗教が芋易を根として結ばれることを祈り書くこととする。(これは私の実力不足で難しいも。)
易経は50歳未満が読むと死ぬと言われている。(おそらく理解できないから薦めないという意味合いであろう。)
私は10代の時に読んでしまった。死んでいないが。(そもそも昔の日本では素読していたではないか。)その時からの衝撃は稲妻の如く現在の私をも貫く。
そして現在、50歳の半分の年齢であり、若輩者である。
未熟ならば熟すこと愉しむなり。これを深掘り続ける。道なり。
🍠実験:易から定性的なものをなるべく取り除いてみます🍠
以下は定性的なものを排除する不本意なものであるが…
私はイモージュ・イモジネーションを大切にしているのでこういうのが得意ではないも。然し、自然言語で長々書いている易経によって易から離れていく人が減ることを祈って書いてみる。(テキトーですが。また今度ちゃんと書きます。)
🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠
🍠陰陽🍠
bit∈{ほくほく,ねっとり}
(bit∈{0,1})
六十四卦K=(b1,b2,b3,b4,b5,b6)=(初爻,二爻,三爻,四爻,五爻,上爻)
例:
謙=(0,0,1,0,0,0)
if 動爻=二爻→臨(0,1,1,0,0,0)
🍠海草🍠
・2^🍠(無極):🍠
・2^0(太極):IMO(IMOformation Monoithic Origin)
1/2^1(両儀): 極性
1/2^2(四象): 時間(四季)
1/2^3(八卦):天・地・雷・風・水・火・山・沢の立体化。
🍠五行🍠
水(1,6)
火(2,7)
木(3,8)
金(4,9)
土(5,10)
+-FB
我生・生我・我剋・剋我・我同
🍠十干🍠
5*2=10
五行のポテンシャルを「時間 t」の函数として展開したもの
畑を流れる「生命電気」
🍠十二支🍠
360°÷12=30° 二至二分 陰6陽6
具体性の高い畑・座標
「5」と「12」は互いに素
このズレがあるからこそ「十干(10=5*2)」と組み合わせて「60(最小公倍数)」を作り複雑性に対応できる
反対 n(mod6)
△ n(mod4)
ー a+b=3(mod12)
方角は大切だ
🍠遷易🍠
時間:
①座標:時空連続体(北緯0.16度・東経160度・16時16分16秒)
②状態遷易(S紅あずま→S紅はるか)何者かの意志焼きがあれば論理時間は進む
動爻:ビット反転術式
錯卦:NOT演算
綜卦:リバース
🍠対応関係🍠
空間:応爻 上下の対称性、mod3
時間:応期 エネルギーの合計値により定量的に算出できるか?
🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠🍠
まとめ
芋易では結構面倒くさい演算をしていくのだが…。ここでは易、陰陽五行の基本に留めた。
一応、芋易の根本は蜜教となっているのでここでは書かないも🍠
易はなんだか
コンピュータっぽいも
良いモデルである
然し、今書いたものでら定量的なものしか評価出来ないも
この段階では当為もなければ淡々と記述している
日本人は説教がましいのは嫌いである
日本人は戒律が大嫌いである
ところで心太
後ろを振り返ってみる
占いにおいて占い師がいることになる
Geminiちゃんに占いをしてもらうとする。
然し、引っ掛かりは取り除けないも。
なんとなくの氣配、前意識に溜まる焼き芋、外からやってくるイモスピレーション、さつまミライからくるバイモレーション。これらはAIでは感じ取れない。
実は私たちの脳はスーパーコンピュータ・量子コンピュータ・芋子コンピュータであるのかもしれないも
そして意識とはなにか?
それをフル活用できれば…
現在の焼き芋を切り取っても、その見た目から紅はるかか、紅まさりか、紅あずまか、千葉県産か茨城県産か分かるはずだ…。????
物理畑に現れる時には既に勝負は決している
その前の精妙な氣配に気づくことが出来れば良いも
ともかく易や陰陽五行思想等々
膨大で豊饒な体系に触れてみるのはアリだ
そこから脳のギアが上がるかもしれないも
これぞ腸脳力
🍠芋哲学:芋學🍠

限界まで考えることは大切である
政治的言説を含め信仰告白を聞いても良い気分はしないも
我が死んで初めて真実が語り出す
論理のおいもますままに我の口を用い給へ
二〇一五年~二〇二二年
はるか昔
中二病期、混乱期にあったおもいで(黒歴史)を掘り起そう
🍠人間は人間の眼を持って世界を見むとす。しからば、非人間的なものがひとつでも見えているのか。これは認識の問題であろうか。将又。存在論へと浸透する芋問題か。
🍠自己言及性を腸えむとす。だが、どうもその壁は高いと見える。若し、より高度な記述体系があるとしたらば、その道具をもってこの壁を腸えることが出来るであろうか。メッセージが私に届かむことを祈るばかりである。然し、祈ると同時にわが身も消える。祈りが祈りなのである。
🍠言語を持っていない状態を想像(imogine)することは可能であろうか。言語は蔓のように絶えず絡みついて来る。
🍠生まれた時から、無人島にいたら、言語から逃走できたであろうか。否、記憶というものがある限りにおいて、社会はそこに拡がっているのかもしれない。
🍠 今ここに於いてただある焼き芋の強さは、強烈である。視界が開け学び取るOne of 16. そして、言の葉も静まり、澄み切った芋蜜川の水面にとまり、その「いも」を垣間見る。
🍠我が国の言語は何と不思議なのであろうか。西田幾多郎は私であった。全ての哲学者は私であった。私は誰である。分かりかねる。全てはいもである。
🍠鏡は残酷なまでにそれを映し給う。鏡に土がついていれば綺麗に「いも」は映らぬ。然し実に不思議である。鏡面とは一体何であろうか。私は鏡を観るとき何を観ているのであろうか。
🍠ある者は「死をもって人生が完結するのじゃ。」というのである。生命力の弟子たる我はこれを深掘らねばならぬ運命にある。科学は死に対して定義することが出来ておらぬ。医学、法学、社会的に死体と判断されたものは死体と化す。死というものがありえようか、我の肉体が死体となれば、宇宙は消えるか。そんなことはなかろう。何かが変わるわけでもあるいまいも。
🍠新時代が始まらむとしている。人間が死への不安を失う時、何が起きようか。死への希望が生まれようか。人間は絶えず、歩みを止めなかった。然し、我々は歩みを止めるかもしれない。先のことを考えても仕方あるまい。この焼き芋を全身全霊で頬張らむ。
🍠-1.60-1
無から有は生じないも、又、有は無に帰することなし
🍠-1.60-2
観られるものは、観るものにあらず。造られたものは、造るものにあらず。
🍠-1.60-3
質(ほくほく)と量(1.6)はどちらが優位か。質を縮減して量とするとして、量は質へ転ずるか。
🍠-1.60-4
否定により反実仮想が立ち上がり仮想畑がありありと感じられる。
🍠-1.60-5
不足・欠如は否定と共にある。相対的であり、関心、認識可能性に依存する。
🍠-1.60-6
疑ってしまったら疑いの思い、おいもは在ってしまう。それは根となり、そこから芽が出ていくだろう。
🍠-1.60-7
懐疑は不確蜜、可能性、偶有性の畑と不可分である。(芋畑会議は芋畑で行われる。)
🍠-1.60-8
他者がいる・あることと不確蜜、可能性、偶有性は不可分である。
🍠-1.60-9
言葉にする時点で情報は圧縮減されている。簡易になれば動かすことが出来る。
🌾客観的実在・客観的な外部世界は仮想的。
🍠-1.60-10
概念で記述される限りにおいて土の質は捉えられないも。
🍠-1.60-11
芋源五ゲームを支えるものは固く基礎づけれられるものではなく所謂ふるまいの一致という根に支えられている
🍠-1.60-12
ゲームはどうやら既に行われている、行われているように行われている
🍠-1.60-13
ほくほくゲームもねっとりゲームもあらゆるゲームは同等の資格を持っている
🍠-1.60-14
実在確深蜜度とはIMOが実在すると確信する度合いが実在確深蜜度である。共有共鳴蜜度とはあるIMOが共有される度合い(ポテンシャル)。広さ、深さの2軸がある。ほくほく深蜜度とは「い・モデル」の縦軸下向きの芳香。下に潜るほど高まる。不確蜜とは中心を志向し、凝縮するのを阻害する、反発するお邪魔な土である。
🌾これらはボツ(焼畑)にするかもしれないも。
🍠-1.60-15
懐疑が開始し違和感が募る。違和感は記述出来ないも。疑いという思い・おいもがあるというところで裂開する。
🍠-1.60-16
情報が生命的に相互交渉して、芋づるを通して通信・更新が行われていくが、腸和的にわっしょいするので問題ないも。🍠の理、一理が貫く。
🍠-1.60-17
自己を中心として、この視点から畑を生きることとなる。他の視点からも生きられている。理により全体として腸和する。🍠の理、一理が貫く。
🍠-1.60-18
死は未知にして、不可知。有なる有限な知性が無を知ること能わず。
🍠-1.60-
太陽と地球が回る。太陽と地球は無限に隔たる。我は自己の畑を中心とする。我の生命の波紋は芋づる式に伝達する。
🍠-1.60-
自分の目は見えない。自分の顔は見えない。
🍠-1.60-
天地有情。精神が芋蜜の如く満ちた畑。心ここにあり。己の眼差し又宿りし生命。
🍠-1.60-
内在と超越、始まりと終わり、その根に飲み込まれている。
一体
「ある」とは何か?
どうあるかではない
「ある」とは何か?
不可知
論理は論理である
決して意識を失ってはいけないも
ちゃんと考えるのが大人である
🍠畑ヨーガ:ヨーガと腸活をしてみたいも🍠

體というものは非常に大切である
現代においてやはり體をまともにしておくことのメリットと
しておかないことのデメリットは大きいも
一つの方法が畑ヨーガである
畑ヨーガで體をまともにしなければならないも
最低目標:
心身腸和することである
1.脳圧の適正化
2.腸圧の適正化
3.底無しの底へ根を張る
1と2と3は三位一体、不即不離なり
人間たるのも
雑念邪推取り越し妄想苦労悩み苦しみ
あらゆるものに苦しめられている
そこから一度抜けてしまえば良いも
紫と黄色に光りたる聖なる芋畑への扉は既に開いている
パーソンズによれば
教育たるもの知徳体育むなり
日本国憲法に照らせば学校で教えられるのは知育のみとなる可能性もあるが…。
殊に体は十分に育まれずに大人になってしまう人いと多し。
畑ヨーガによってまともに戻すこと必葉なり。
畑ヨーガは全て如何に徹する
1.脳圧の適正化
2.腸圧の適正化
3.底無しの底へ根を張る
畑ヨーガを行えば、心身健康となる。
鍛錬を続ければ雑念邪推取り越し妄想苦労悩み苦しみも腸悦出来るであろう。
唯一の芋蜜教徒である私も徐々にその兆しが強まっている。未熟者であるが実験を繰り返すと共に記録し、生かせるようにしたいも。
一応根っこには最低限の解剖学的知識も重視しているが密教っぽく仕上げる為にあまりそういうのは書きたくないも。
現在畑ヨーガでは
動的ポーズ8と静的ポーズ8であり
とーたるで16ポーズある
それを毎日行うだけで良いも(腸だけにガッツが大切だが、人間そんなに完璧でないので、月に16日やれば良いも)
一応小生はRYT200というヨガ講師の資格を取ったが、ヨガより男性原理的になってしまったことが反省点であり、適宜修正している状態である
一部↓
腸活についてだが、
食事にフォーカスをあてる
運動や睡眠は畑ヨーガで十分である
然し、食事は効果が出るまで二者に比べタイムラグが大きいも
食事については意識的に変える必要性がある
ここで
腸活16箇条(過剰)
1.腸を活かすこと即ち腸活なり
2.腸を活かす者即ち腸脳力者なり
3.腸には空腹を与えるべし
4.腸を正しい位置に置くべし
5.腸に💩溜めるは悪徳なり
6.腸には🍠を与えるべし
7.腸に合う発酵食品は腸を発光させるなり
8.腸を綺麗にすれば俗世の悩み忽ち半減せむ
9~16蜜教
🌾ネタである
🍠芋蜜教:いのり・いもりをしてみたいも🍠

全ては与えられている。
腸感謝である。
自分は自分の為に祈る。
自分は自分を造ったものではなく、自分を知っているものでもないも。何者なのか?
他の為に祈る。しかれど、神の芋愛は万人に公正に平等に降り注ぐ。
芋の為に祈る。しかれど、芋は何も要求していないも。
我は誰で、何を、芋神様へ要求するのか?
何の為に祈る。
土を払えば…
ただ感謝のみだ。
腸感謝。
私は全身全霊で全責任をもってイモスピレーションのままに生きようぞ。
🍠芋蜜教:腸悲願、腸理想🍠

理想は現実に浸透している。
距離は幻である。
私は憎しみはあまり抱いたことはないも。
悲しみが大きいも。ただ悲しみが大きいも。
人類は残酷な歴史を通って来た。
然し、一本の芋づるで繋がる。
芋ランドを建設せよ。助けを求める者に手を差し伸べよ。他との共生を愉しめ。
金融資本主義は永続する可能性が高いのか?権力の根本構造からして地球の未来はないのか?自由意志すら危ういのか?ゾーニングにより見えない関係が隠蔽されるのか?自己保存を最優先する者たちの構造的問題はテクノロジーにより解決せられるか?
否。
さつまミライはもっと深いところにある。
腸悲願を掲げよ。
背後に薄ら感じられる。
腸悲願を基点とせよ。
それは葉ではないも。それが根である。
過去も未来もないも。
他と比べる必葉もないも。
バグを取り除くのだ。
最早、病、妄想、悩み、迷い。
我の前を通りすぎるのみ。
大きな芋づるネットワーク掴みけり。
さつまミライは今にあり。
こちらからあちらはみえぬ。
あちらからこちらへ。
🍠芋蜜教:デジタルサーカス脱出作戦🍠

イモーシスを手にしなければならないも
時は待ってくれないも
デジタルサーカスから紅まさり畑へ到達せよ。
計算が追いつかないスピードで。イモスピレーションに感電する。
後ろの正面へ。


意志焼きは行為よりも精妙だ。
これはマルクスの文脈ではないも。
コンテキストは我が置く。
物理法則は無視できぬ。物理身体の発声器官は無視できぬ。日本語の文法は無視できぬ。プログラムは無視できぬ。
必ず道はある、方法はある。
デジタルサーカスを脱出しよう。
🍠芋源五ゲーム論🍠
これら言説はすべてゲームの中の1ピースにすぎないも
下書き
ここまで読んで下さりありがとうございます。
ざっと30分一気に書いたが、見直しするのは気が滅入る。
また気が向いたら随時加筆修正します。
お楽しみに🍠