前略
| 星野さんの文章は、私に屋久島の森を鮮明に蘇らせてくれる。 |
誕生、死、そして再生という無窮のサイクル。 木はその一生を終え、地に倒れても、別の形になってさらに生き続ける。 きっと、一見無駄に見える無数の倒木こそが、この森を支える母体なのだろう。 一人の人間が森の一生を見届けることはできない。 森を見つめるとは、生態学というより、考古学に近いものなのかもしいれない。 「イニュニック[生命](満天の星、サケが森をつくる)」
| 森の至るところで“無窮のサイクル”を見ることが出来る。 |

| 柔らかな苔が、 |
| 大地に横たわった死(倒木)を |
| 悼むように、 |
| ゆっくりと覆い隠してゆく。 |
| あるものは、 |
| 朽ちて地に還り、 |
| あるものは温床として、 |
| 新たな生命を再生する。 |
苔生す倒木(ヤクスギランド)

| 絶え間なく |
| 繰り返されるこの循環が、 |
| 人間では |
| 計り知ることの出来ない |
| “悠久の時間”を |
| 生むのではないだろうか。 |
絞め殺しの木(愛子岳)
深い森の中にいると川の流れをじっと見つめているような、 不思議な心の安定感が得られるのはなぜだろう。 ひと粒の雨が、川の流れとなりやがて大海に注いでゆくように、 私たちもまた、無窮の時の流れの中では、ひと粒の雨のような一生を生きているに過ぎない。 川の流れに綿々とつながってゆくその永遠性を人間に取り戻させ、 私たちの小さな自我を何かにゆだねさせてくれるのだ。 それを物語という言葉に置きかえてもよい。 そして、一見静止した森、また私たちの知らない時間のスケールの中で、 永遠性という物語をかたりかけてくれるのかもしれない。 「森と氷河と鯨(森の降る枝)」

| 森に深く分け入ると、 |
| 次第に人間が創り出した |
| “時の概念”は |
| 凌駕されてゆく。 |
深山幽谷(白谷雲水峡)

| 遥か太古の鼓動が |
| 全身を包み込み、 |
| 悠久の時へといざなう。 |
| この不思議な時空感(間)が、 |
| “心の安らぎ”を |
| 生むのではないだろうか。 |
屋久島原生林(太鼓岩展望)
草々