カメラの記憶/2021年(R3年)ー13/2月7日ー4/小田急片瀬江ノ島駅~JR藤沢駅

 

 

2月7日、この年2回目の新ハイキングクラブの歩き(片瀬江ノ島駅~JR藤沢駅)

に参加。


最寄の南武線稲城長沼駅から同登戸駅迄行き小田急線に乗換え同藤沢駅へ。

更に江ノ島線に乗り換え片瀬江ノ島駅下車。

こちらに全員集合しJR藤沢駅迄歩きました。

 

当日の地図
 
 
常立寺(ネットより)
常立寺は今は、日蓮宗の寺であるが、元は真言宗の寺であった。近くの瀧ノ口の刑場で処刑された刑死者を弔う為に出来た寺であった。文永11年(1274)10月蒙古の王・クビライは3万3千隻の船で対馬・隠岐を襲い、19日には博多湾に上陸をした。日本軍はたちまち敗走したが、台風により蒙古軍の船が難破し1万余りの兵が水死し、蒙古軍は引き上げていった(文永の役)。鎌倉幕府は蒙古の再来を恐れて腐心をしていた。建冶元年(1275)4月蒙古の国使・杜世忠ら5人が長門国(山口県)にやって来た。そして9月に鎌倉に到着した。蒙古は降服を要求したが、時の執権・北条時宗は蒙古の国使5人を9月7日に滝の口刑場で斬った。死骸はこの常立寺に埋葬され、ここに5基の五輪塔が建ったのである。元使五人塚と言う。その6年後、弘安4年(1281)5月に蒙古は兵力14万、軍船4400隻で再来したが、再び台風に襲われ、蒙古軍10万人が水死。こうして北条時宗は日本の国難を切り抜けることが出来た。
 
元元使塚
 
本蓮寺(ウイキより)
本蓮寺(ほんれんじ)は、神奈川県藤沢市片瀬にある日蓮宗の寺院。山号は龍口山。龍口寺輪番八ヶ寺の一つ。旧本山は大本山本圀寺(六条門流)。潮師法縁。
推古天皇3年(595年義玄が創建し、その後真言密教の寺院となったと伝わる。元暦元年(1184年)に、源頼朝源立寿寺として再建したのち、文永8年(1271年)、日蓮龍ノ口法難の後、休息をとったという伝承が残る。嘉元年間(1303年-1306年)頃、日秀が日蓮宗に改宗し現在に至る。慶安2年(1649年)には江戸幕府より朱印地7石を賜る。
 
 
蜜蔵寺(ネットより)
真言宗大覚寺派寺院の密蔵寺は、寶盛山薬師院と号します。密蔵寺は、有辨(徳治元年1306年寂)が開山、與(天正5年1577年寂)や、良忍、全道による再建を経ています。東国八十八ヵ所霊場87番、相模国準四国八十八ヶ所17番、相模国大師廿一霊場17番です。
 
移動
 
諏訪神社へ
この項以下次回へ
 
余禄(この項前回から続く)

先週20日~22日、ほぼ10年振りの国内ツアーで九州へ行ってきました。

JTBで佐賀(唐津他)→長崎(雲仙他)→熊本(天草他)を2泊3日で巡りました。

21日は雨模様でしたが、他日は何とかもちましたよ。(^^♪

 

20日羽田発、長崎空港(大村)から佐賀・唐津へ。

21日は唐津からバスで雲仙へ観光しながら移動しました。

 

東松浦半島の七ツ釜

七ツ釜とは(ネットより)(再掲)

国の天然記念物にも指定されている七ツ釜(ななつがま)は、玄武岩がその波の荒々しさで知られる玄界灘(げんかいなだ)の荒波にさらされ浸食されてできた景勝地です。断崖は深くえぐられ、その名の通り7つの洞窟が並列し、自然の驚異を感じさせてくれます。最大の穴で間口が3m、奥行きが110m。遊覧船でじっくり見学できます。七ツ釜の上は草原となっていて展望台や遊歩道が整備され、多くの観光客で賑わっています。また、七ツ釜の近辺は釣人にも人気のフィッシングポイントです。岬の北端には神功皇后が朝鮮出兵の戦勝祈念の時土器を捨てた場所との伝承があり、皇后を祀る土器崎神社があります。

 

七ツ釜の案内図板

 

雲仙へ行く途中平戸大橋へ寄りました。

 

平戸大橋周辺の案内図板

 

今回は平戸島巡りは行程になく残念。

又の機会に行きたいと思います。

この項も以下次回へ