「カメラの記憶」の写真以外は再掲を含みます

カメラの記憶/2021年(R3年)ー5/1月25日ー1/中山道(鴻巣駅~吹上駅)

 
中山道歩きは、2018年4月28日に日本橋から歩き始め、今回投稿は翌2021年1月25日の8回目の歩きです。(実は前々年の2019年(R元年)12月23日に第7回目、樋川駅~鴻巣駅を歩きましたが、どういうわけか写真が見当たりません( 一一))

 

今回投稿は8回目歩きの1回目の投稿になります。

 

尚、今回(1月25日ー1)は下記地図中央左方の鴻神社他を投稿しています。

 

中山道六十九次(山と渓谷社 八木牧夫著より)

(あれっ写真が寝てしまっている!)

 

鴻巣の地名由来等

鴻巣の地名は「国府の洲」や「高洲」そして鴻の宮(鴻神社)の 島伝説に由来している。

 慶長七年(1602) 本宿村の宿場をこの地 に移し鴻巣宿とした。

松山街道と日光街道の追分を控え、宿内 の上市場、仲市場、下市場の三ヶ所で毎月四と九の日に交代で 市が立ち大いに賑わった。

 天保十四年(1843) の中山道宿村大概 帳によると鴻巣宿の宿内家数は五百六十六軒、うち本陣一、脇本 陣一、五十八軒、 宿内人口は二千二百七十四人(男千百三 十二人、女千百四十二人) で宿長は十七町 (約1.9km)であった

 

鴻神社

鴻神社の名前の由来

鴻巣宿の総鎮守、境内の樹の 神という大樹にコウノトリが 巣を作り卵を生むと、
大蛇が 忍び寄り、コウノトリがこれ を突き殺してしまった。
以来 祟りがなくなり、社を「鴻(こ う)の宮」と呼ぶようになった。

 

 

鴻神社の由来等

 

この付近の街道の様子。

 

 

※説明文は八木牧夫著の「中山道六十九次」から抜粋させていただきました。

 

以下次回へ