カメラの記憶/2020年(R2年)ー30/12月6日ー6/東武東上線川越駅周辺ウォーキング

 

2020年(R2年)も押し詰まってきました。

先月に続き新ハイキングクラブのこの年最後のウォーキングに参加。
 
南武線の府中本町で武蔵野線に乗換え、更に武蔵野線では北朝霞で東武東上線(朝霞台)に乗換えて川越駅で下車し、ここを起点に左周りに回って川越駅に戻りました。                        
 
川越は城下町で神社仏閣が大変多かったです。
江戸期は譜代の藩で酒井、堀田、柳沢、松平等幕閣重臣が配置されたようです。
当日参加者は31名で絶好のウォーキング日和でした。
 
 
当日のウォーキング地図
 
カメラ AQUOS SH-M08スマホ
 
ここは川越城本丸御殿(ネットより)
川越城は、長禄元年(1457年)に、上杉持朝の命により、家臣の太田道真・道灌親子が築いたといわれています。
江戸時代には江戸の北の守りとして重要視され、代々幕府の重臣が城主となっていました。現存する建物は嘉永元年(1848年)に建てられたもので、本丸御殿の一部として玄関・大広間・家老詰所が残り、川越藩17万石の風格をしのばせています。
 
こちらは、市立博物館(ネットより)
川越に関する資料を系統だてて展示しています。とくに小江戸といわれた城下町に関わる資料や、川越の象徴である蔵造りの町並み模型、蔵造りの建築工程を再現した大型模型などは興味が尽きないものです。
 
次々に巡ります。
こちらは、氷川神社
 
 
 
最後は蓮馨寺(れんけいじ)呑龍上人
(ネットより)

駅方面から蔵造りの街並み、菓子屋横丁へ向かう道で出逢う蓮馨寺は、室町時代に創建された歴史ある浄土宗のお寺。

川越城主の母、蓮馨大姉が、安らぎの場を民衆にもたらすべく建てた寺で、以後、庶民の寺として親しまれてきた。
1602年には、浄土宗の関東十八檀林(だんりん)(増上寺を頂点とする幕府公認の学問所)のひとつとなり、高い地位が与えられ、葵の家紋が許された。また、かつて境内にあった浴場を「八つ(午後3時)の鐘」を合図に庶民に解放していたが、その鐘は「元禄時代の梵鐘」として今も時を告げている。参道にある水舎の欄間に彫られた唐獅子は当時の芸術文化を偲ばせる。

又、呑龍堂前に鎮座する「おびんずる様」は、触ると病気が治る仏として市民に大人気。また、小江戸川越七福神の第五霊場として「福禄寿神」が祀られ、人々を幸福へと導く神として参詣者で賑わう。

 
12月6日  -了ー
 
 
以下次回へ
おまけ(再掲を含みます)
2022年12月4日は都内の浜離宮恩賜庭園を散策。
新橋駅の庭園側の風景はジィジの現役時代とはうってかわって、再開発され高層ビルが乱立していました。この庭園には過去2,3回入ったことがあるのに、入口付近を少し巡っただけで奥の方はほとんど行っておらず、一昨日は時間がたっぷりあったので、1時間ほどかけゆっくり散策しました。
紅葉もまだ幾分残っており、天気もよかったので、大変気分よく過ごせました(^^♪
 
新橋駅から庭園に進んでいます。
着いたようです。
 
 
庭園の散策(再掲示)
ー了ー