「カメラの記憶」の写真以外は再掲を含みます

 
何だかへんだぁ!
安倍元首相の体中に入り致命傷を与えた銃弾が行方不明?!
○安倍元首相が撃たれた銃創等の跡
・当初の奈良県立医科大学付属病院福島教授が行った説明
顔面下方首の右付根付近(鎖骨より上)に二つの銃創(5cm間隔)と左前肩部に一つの銃創(射出痕と思える)があった。手術中に銃弾はみつからなかった。
 
・治安・テロ対策調査会で青山議員が当局に確認した内容
左上腕部に銃創(入射痕)があった。弾が出たあと(射出痕)はなかった(盲管銃創)のに、銃弾は体中にみつからなかった。
当初の福島教授が説明した「首の付根付近の銃創」は青山議員の説明にはなかった
 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

奈良県立医科大学付属病院福島教授の説明

 

○安倍元首相銃撃時の衝撃映像

 閲覧注意!

YouTubeに再ログインが必要です。

 

この年急に中山道歩きを思い立ち、先ず日本橋から神田へ向かって歩きました。

 

中山道六十九次(山と渓谷社 八木牧夫著より)

 

昌平橋

寛永年間(1624)の架橋、橋名は湯島聖堂に祀る孔子の生誕地(昌平郷)に由来。

 

昌平橋が架かる神田川

 

神田川を巡る遊覧船?

 

昌平橋の説明看板

 

このあたり神田旅籠町の説明看板

 

神田神社(神田明神)

天平2年(730)の創建、祭神は平将門。江戸三大祭の一つ神田祭の神輿は

江戸城内に入り歴代将軍が上覧した。

 

参道に入った脇にある大きな狸像

神田神社門

 

境内は結構広い。

 

近くの表通り(中山道)にあった 株(かんそうしん)

信用保証会社だそうです。

 

本郷三丁目付近 

江戸払い(所払い)の罪人をここで追放した。

 

東京大学赤門

敷地は加賀藩上屋敷跡。赤門(御守殿門)は文政10年(1827)11代将軍家斉の

娘溶(やす)姫が前田家に輿入れする際に建立された朱塗りの門(重要文化財)。

 

赤門前のそばや

ここで昼食にしビールもいただきました。(^^♪

 

赤門の先にあった門、ここが通常の出入口かな?

 

棚澤書店

明治38年(1905)建築の商家造り、登録有形文化財

 

近くに咲いていた大きなツツジ

 

注)文中一部の説明は、中山道六十九次(八木牧夫著)から抜粋させて頂きました。

 

以下次回へ